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【AU★ 5/5-5/5】紀元前312年〜281年 セレウコス朝シリア セレウコス1世 テトラドラクマ銀貨

数量
7,300,000(税込)
世界のコレクター垂涎の逸品!
「歴史的価値がある古代コイン×完璧な保存状態」

根強い人気を誇る古代コインから
奇跡の状態を保持した希少銀貨のご紹介です。

■デザイン

表面:セレウコス1世

裏面:勝利の女神ニケ 
銘文:BASIΛEoΣ SEΛEYKOY

■状態

AU★ Strike: 5/5 Surface: 5/5 Fine Style

■コイン詳細

【発行年】紀元前312年〜281年
【鋳造地】スサ「SUSA」
【額面】 テトラドラクマ
【素材】銀
【重量】17.04g(スラブ合わせて57.6g)
【直径】26mm
【表面】セレウコス1世
【裏面】勝利の女神ニケ
【NGC鑑定】AU★ 5/5-5/5 Fine Style 
【専門書】
SC 173.4
ESM 426

■ポイント

*希少性
”奇跡的な状態維持”
2000年以上もの時を経て、AU以上の状態で尚且つその他の状態評価も完璧です。
古代によくあるマイナス評価の鑑定は一切ございません。
本品のような高グレード品は非常に少なく滅多にお目にかかることがありません。

*状態
・Strike(打刻)、Surface(表面)ともに満点!最高評価!
・グレード:AU(準未使用品)
・そしてなんと『Fine Style』&「★」が付与!
※Fine Style:コインの磨耗や打刻・表面の状態といったグレードとは別に、個体差のある古代コインの中で特に芸術性が高いと認められる美しいコインに付けられます。
※★:状態に特筆すべき美しい評価がある証

2000年以上も前とは思えない奇跡ともいえる状態を保持しています。

*市場性
"歴史的価値がある古代コイン"×"高品質の状態"
は、世界中のコレクターや投資家間で取り合いになり、すぐに市場から姿を消してしまいます。
2000年以上前のコインとは思えない美しい輝きを保った歴史的な芸術遺産とも言える古代コインです。

希少性・市場性・状態全てで最高満点の資産価値の高い銀貨です。
美しい輝きと芸術性あふれる作品をこの機会にぜひその手でお確かめください。

▼コインのストーリー

■概要

根強い人気を誇る古代コインから奇跡の状態を保持した希少銀貨になります。

■セレウコス1世とは

セレウコス1世(古代ギリシア語: Σέλευκος Α'、紀元前358年 - 紀元前281年)は、セレウコス朝の創始者(在位:紀元前312年 - 紀元前281年)。ニカトール(古代ギリシア語: Νικάτωρ、勝利王)とも呼ばれた。

セレウコス1世は、紀元前4世紀後半から3世紀前半にかけて活躍したマケドニア王国の将軍であり、後にセレウコス朝シリアの創始者となった人物。

マケドニア王国の貴族アンティオコスの息子で、アレクサンドロス大王の家臣として仕え、大王の東方遠征にも参加して活躍する。しかし他の大王の後継者(ディアドコイ)たちに比べれば当時は影が薄い存在で、アレクサンドロスの生涯に関する史料として最も重要視されるアッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』でも、セレウコスが最初に登場するのは、紀元前326年のヒュダスペス河畔の戦いの場面である。
当時、彼は重騎兵(ヘタイロイ)の一員で、王の近衛歩兵部隊の指揮官であった。

紀元前324年にスーサで行なわれたギリシア人と東方人の集団結婚式では、アレクサンドロスに敗れたソグディアナの実力者スピタメネスの娘アパメーを娶る。このとき王に強いられて東方人の妻を迎えた者たちのほとんどは、やがて相手と離別したが、セレウコスだけは生涯アパメーと連れ添った。ソグディアナ人のアパメーを妻としたことは、後に彼の東方支配に大いに利したとされる。

アッリアノスによれば、アレクサンドロスがバビロンに帰還してから、彼の死の予兆となる不吉な事件が次々に起こったというが、そのなかのひとつにセレウコスが登場する。それによればアレクサンドロスが船団を率いてバビロン南方の沼沢地を進んでいたときに、彼のかぶっていた帽子とディアデマが風にさらわれて沼の芦に引っかかった。

同時代人アリストブロスの記録では、一人の水夫がこのディアデマを王のもとに届けたとされるが、別伝によるとディアデマを王に手渡したのはセレウコスであり、彼が王の権威の象徴を手にしたことは、のちに彼が王位を獲得する前兆であったという。

その後、アレクサンドロスの死の直前に、王の治癒祈願のためセラピス神殿に参篭した者たちの中にも、セレウコスの名が見える。
以上がアレクサンドロス3世の存命中にセレウコスの行動として記録されているものである。

セレウコス1世は、政治家・将軍・建設者として、アレクサンダー帝国の分裂期における重要人物の一人であり、彼の功績はその後のシリア王国・セレウコス朝の発展に大きく貢献しています。

■鋳造地「SUSA」について

スーサ、またはスサは、現在のイランの西南部に位置し、エラム王国時代、アケメネス朝ペルシャ時代には、王都として栄えた都市。現フーゼスターン州シューシュ.

スーサの歴史は古く、アクロポリスからは紀元前4000年にまで遡る神殿跡が発掘されている。放射性炭素年代測定によると、早ければ紀元前4395年にまでさかのぼる。紀元前30世紀から紀元前7世紀に跨がるエラム王国の首都であった。

~各年代の歴史~

・紀元前647年、アッシリアのアッシュールバニパルによって破壊された(スーサの戦い)。
・紀元前540年、アケメネス朝ペルシャの王キュロス2世に占領されてエラムは滅んだが、王宮が置かれて王の道の起点として再び栄える。

・ダレイオスが紀元前331年のガウガメラの戦いでマケドニア王国のアレクサンドロス3世に敗れてアケメネス朝が滅んだ後、紀元前324年、アレクサンドロスは帝国内の安定を図ろうと家臣と征服部族とのスーサの合同結婚式(英語版)を行ったとの記録がある。

・直後の紀元前323年にアレクサンドロスは死亡し、アレクサンドロスの部下であったセレウコス1世が立ち、スーサはセレウコス朝の支配下に入る。

・紀元前250年頃にセレウコス朝の総督 (サトラップ)だったアンドラゴラスがセレウコス朝からの独立を宣言したものの、直後の紀元前247年頃にパルニ氏族によって放逐されて、以降はパルティアと呼ばれ、セレウコス朝とは敵対する時代となる。遺跡から多くのパルティア時代の陶器等の遺物が発見されていることからパルティア時代に至ってもスーサは都市としての繁栄を続けたと考えられる。

その後116年頃のローマ皇帝トラヤヌスの侵攻により占領される。

セレウコス朝時代には、スサは政治、経済、文化の中心地として栄え、アレクサンダー大王の帝国における交通の要所でもありました。また、セレウコス朝時代にはスサで多くの文化的な発展があり、ギリシャ文化や東洋文化が混ざり合い、独自の文化を築いていきました。

■テトラドラクマとは

テトラドラクマは、古代ギリシャやヘレニズム時代に流通していた貨幣の一つで、「4ドラクマ」という意味です。

ドラクマは古代ギリシャの貨幣単位で、銀貨として使用されていました。テトラドラクマは、このドラクマを4つ束ねたもので、銀の重量は約17グラムほどでした。この貨幣は、アレクサンダー大王や彼の後継者たちが発行したもので、その影響力が及んだ地域で広く使用されました。

テトラドラクマは、世界史上でも最も有名な貨幣の一つで、アレクサンダー大王が広大な帝国を築いた時代の象徴としても知られています。また、当時の貿易や交易においても重要な役割を果たし、東西文化の交流を促す貨幣としても重要な役割を果たしました。

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