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【MS 3/5-4/5】654年~668年 ビザンツ帝国 コンスタンス2世 コンスタンティヌス4世 ソリダス 金貨

SOLD OUT
絶大な人気を誇るビザンツコイン!
通称ビザンチン金貨入荷です!

芸術的なデザインで人気の高いビザンツコインから
特に状態、市場性の高い金貨のご紹介となります。

■デザイン

表面:コンスタンス2世とコンスタンティヌス4世
裏面:階段上部にクロス、下の「CONOB」は「コンスタンティノープル」を意味します。

■状態

MS Strike: 3/5 Surface: 4/5

■コイン詳細

【発行年】654年~668年
【発行国】ビザンツ帝国
【額面】 ソリダス
【素材】金
【重量】4.48g
【直径】19mm
【表面】コンスタンス2世とコンスタンティヌス4世
【裏面】階段上部にクロス、下に「CONOB」
【NGC鑑定】MS 3/5-4/5

■ポイント

*希少性
ビザンチン金貨は枚数は少なくはありませんが、状態が良いものは非常に少ないです。
しかも保有されている方が中々手放さないので、市場に出回りづらいコインとしても有名です。

*状態
状態、打刻も申し分なく、グレードもMS評価!
その他古代コインにありがちなマイナスとなるポイントは一切ありません。
1400年も前とは思えないすばらしい状態を保持しています。

*市場性
ビザンツ帝国金貨、通称ビザンチン金貨はかわいらしいデザインから世界中のコレクターから愛されており、ビザンチン専門コレクターも存在するほど人気があります。
また底堅い人気から、近年価格も上昇傾向にあります。


抜群の将来性を誇るビザンチン金貨!
手の出しやすい価格帯のうちにぜひコレクションに加えてみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

大人気!ローマ帝国コインの最高グレード品になります。

■ビザンツ帝国とは

ビザンツ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域で継承された国家です。330年にコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を首都として建国され、約1100年にわたって存在しました。ビザンツ帝国は、ローマの伝統を受け継ぎつつ、独自の文化、宗教、政治体制を形成しました。

この帝国の特徴は多岐にわたります。まず、ビザンツ帝国はキリスト教を国教とし、その後の東方正教会の発展に重要な役割を果たしました。また、ビザンツの皇帝は神聖な権威を持ち、政治的な指導者だけでなく、教会の保護者としても尊ばれました。

ビザンツ帝国は、外部からの侵略に常にさらされていましたが、数々の戦争や外交努力によって領土を拡大し、また保持することに成功しました。その領土は、現代のトルコ、ギリシャ、エジプト、イタリア、シリア、イスラエルなどに及びました。

また、芸術、文化、教育の中心地でもありました。ビザンツ建築は美しいドームやモザイク装飾で知られ、文学や哲学も盛んに発展しました。ビザンツの学者たちは古代の知識を保存し、後のヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。

しかし、ビザンツ帝国は次第に弱体化し、1453年にオスマン帝国によって征服されました。その後もビザンツの文化や遺産は、東方正教会や西洋文化の発展に影響を与え続けました。ビザンツ帝国は、その長い歴史と多様な遺産により、世界史上で重要な地位を占める帝国となりました。

■コンスタンス2世とは

コンスタンス2世「ポゴナトス」は、東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の皇帝として641年から668年までの間、帝国を統治した重要な人物です。彼の治世は、内外の政治的な挑戦や宗教的な対立によって特徴づけられました。

コンスタンス2世は、630年に生まれました。彼はヘラクレイオス王朝の一員であり、父ヘラクレイオス2世の後を継いで即位しました。彼の愛称「ポゴナトス」は、彼がヒゲを剃らずに成人したことに由来しています。

彼の治世は、東ローマ帝国が多くの危機に直面していた時期でした。彼はアラブ帝国との長期にわたる戦争を戦い、帝国の領土を守るために奮闘しました。彼の指導の下、帝国は一時的な勝利を収めましたが、その後も戦争と国境の脅威は続きました。

コンスタンス2世は、統治においていくつかの改革を試みています。彼は司法制度の改革や財政の再編成を行い、帝国の行政の効率性を向上させる努力をしました。また、軍事改革にも取り組み、軍隊の近代化と強化を図りました。

668年、コンスタンス2世は亡くなりました。彼の統治は混乱と挑戦の時期でしたが、彼の努力は帝国の存続と発展に寄与しました。彼の治世は、東ローマ帝国の歴史において重要な節目であり、彼の政治的な取り組みと改革の遺産は後世に継承されました。

■コンスタンティノス4世とは

コンスタンティノス4世(650年頃 - 685年9月14日)は、東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の皇帝(在位:668年 - 685年)。コンスタンス2世の長男。

654年4月に父・コンスタンス2世によって共同皇帝に任じられています。661年にコンスタンス2世がシチリア島に向かってコンスタンティノポリスを出発した時、コンスタンティノス4世や彼の弟たちは元老院などの反対によってコンスタンティノポリスに留まりました。
その後、668年にコンスタンス2世が暗殺され、シチリア島でミジジオスが皇帝を名乗ったため、コンスタンティノス4世は自ら艦隊を率いてシチリア島に遠征し、反乱を鎮圧しています。

彼の治世は、内外の脅威に直面した時期でした。東ローマ帝国はアラブ帝国との長期にわたる戦争に巻き込まれ、国境地帯での領土紛争や軍事的な攻勢に対処しなければなりませんでした。コンスタンティノス4世は、軍事力の強化と戦略的な外交努力によって、帝国の領土と権益を守るために奮闘しました。

また、彼は内政においても改革を進めました。コンスタンティノス4世は財政の再編成に取り組み、官僚制度の改革や税制の改革を推進しました。さらに、教育や文化の振興にも力を注ぎ、学校や図書館の設立を奨励しました。

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