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【MS63】954?61年(ヒジュラ暦343年?50年)イスラム王朝サーマン朝 アブド・アル・マリク一世 ディナール金貨

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入荷困難!
”希少性抜群”×”ハイグレード品”

近年注目を集めるイスラムコインから
特に状態と希少性の高い金貨のご紹介となります。

■デザイン

表面:ペルシャ語
裏面:ペルシャ語

■状態

MS63

■コイン詳細

【発行年】954?61年
【鋳造地】アムール(Amul)
【額面】1ディナール
【NGC鑑定枚数】42枚
【素材】金
【重量)約4.07g
【表面】ペルシャ語
【裏面】ペルシャ語
【NGC鑑定】MS63

■ポイント

*希少性
NGC鑑定枚数わずか42枚。
鑑定済コインも僅かしかなく残存枚数からも希少性を伺えます。
この時代のイスラムコインは切り取られたり、削られたりしていることが多く、状態の良いものを探すことはとても困難となっています。

*状態
NGC第2位鑑定品
この上には4枚しかありません。
1000年以上前のコインでMS(未使用)評価という素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
今非常に注目度が高いイスラムコイン!
近年価格上昇も著しく、非常に高い伸びしろ、上昇率が期待されています。
その為、状態の良いイスラムコインは市場でも争奪戦となっています。

”希少性抜群”×”ハイグレード品”
の組み合わせのイスラムコインは世界のコレクターも注目の逸品です!

お求めやすい価格でありながら、その価値の成長に期待の膨らむイスラムコイン!
お手ごろな価格のうちにコレクションし今後の値動きを楽しんでみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

近年注目度の高いイスラムコイン!
NGC第2位鑑定という特に状態に優れた希少金貨です。

■イスラム王朝とは

イスラム王朝とは、ムスリム(イスラム教徒)の皇帝や国王が支配する国家の総称です。
ムハンマドの指導によりムスリムたちがイスラム教の教えの下に結束して、アラビア地域をはじめとする
西アジア周辺のオリエント全域にアラブ人たちが興した国が最初で、分裂したり、新たに建国されたり、征服活動や貿易活動などにより
やがて様々な地域のアラブ人以外の人種にもイスラム教が伝播し、北アフリカ、東アフリカ、西アフリカ、中央アジア(トルキスタン)
スペイン、インド、マレーシア、インドネシアにもイスラム王朝が誕生しました。
それぞれの王朝ごとに1人の君主を置き君主制を敷いています。
現在もムスリムが支配する王朝が存在しています。
ただし君主国が自国名を王朝名で名乗らないことがほとんどで、例外がサウジアラビア(サウード王家のアラビア国)です。

■サーマーン朝とは

サーマーン朝は、873年から999年まで中央アジア西南部のマー・ワラー・アンナフルとイラン東部のホラーサーンを支配したイラン系のイスラーム王朝です。首都はブハラであり、中央アジア最古のイスラーム王朝の一つとして知られています。この王朝は、ウズベキスタン(ブハラ、サマルカンド、フェルガナ、チャーチュ)、トルクメニスタン、アフガニスタン、イラン(ホラーサーン地方)などの地域を支配しました。

サーマーン家の君主はアッバース朝の権威のもとでアミール(地方太守)の称号を名乗り、アッバース朝のカリフの宗主権の下で支配を行いました。しかし、彼らは独立王朝としての存在感を示し、東部辺境で勢力を拡大しました。また、サーマーン朝の時代には東西トルキスタンとそこに居住するトルコ系遊牧民のイスラーム化が進行しました。

特に有名な君主であるイスマーイール・サーマーニーは、ウズベキスタンとタジキスタンで民族の英雄とされ、タジキスタンの通貨単位であるソモニは彼に由来しています。イスマーイールは事実上の王朝の創始者と見なされています。

サーマーン朝は、イスラーム世界東部の防壁として機能し、イスラームに帰依していない遊牧民の進攻を抑える役割を果たしました。彼らは信仰の戦士(ガーズィー)を集め、異教徒との戦闘に取り組みました。彼らはサッファール朝との争いで勝利し、900年に最盛期を迎えました。

サーマーン朝は実質的に独立国家でありながら、表向きはアッバース朝に従属していました。彼らはイランと中央アジアを支配し、ホラーサーン地方を南東のホラーサーン地方に配置した総督を通じて統治しました。また、テュルク系遊牧民との戦争やサーマーン朝への改宗を促す聖戦(ジハード)を実施しました。サーマーン朝の最盛期はイスマーイールからナスル2世の時代まで続き、その後は弱体化し、領土の一部をブワイフ朝に割譲しました。ファーティマ朝の影響力も広まり、シーア派の勢力が浸透しました。

サーマーン朝は、中央アジア史において重要な役割を果たした王朝であり、イスラム文化の発展や地域の政治・経済の発展に大きく寄与しました。その文化的な遺産は、現代の中央アジア諸国の歴史と文化にも継承されています。

■アブド・アル・マリク1世とは

アブドアルマリク 1 世は、 954 年から 961 年までのサーマーン朝 のアミール(男性の君主、貴族、高位の軍事または政治的役職の保持者を指す)。彼の治世は内戦が特徴的で、テュルク系奴隷兵 (グラム) の勢力が増していった時代でした。
961年に彼はブハラでのポロの試合中に馬から落ちて死亡。王位はテュルク系の奴隷司令官ファイク・カッサが率いる グラームの派閥によって弟のマンスール 1 世に引き継がれました。

■ディナールとは

ディナールは、アラブ地域などの多くの国で使われている通貨です。ディナールの名称は、ローマ帝国の銀貨、デナリウスに由来します。
693年、ウマイヤ朝のカリフであるアブドゥルマリクがダマスカスでイスラーム帝国初の金貨を打刻させ、これがディナールの起源となります。
イスラム世界の硬貨はこの時以来、近代になって初めて鋳造硬貨が製造されるまで打刻硬貨でした。
当初はディンナールと呼ばれ、主に旧東ローマ帝国領で流通しました(それまでは、東ローマ帝国が鋳造したノミスマ金貨が流通していた)。
8世紀半ばに成立したアッバース朝の時代になるとディルハム銀貨による銀経済であった旧サーサーン朝ペルシア領でもディナールが流通するようになり9世紀には金銀二本位制へと移行しました。
金の産出地としては、サハラ砂漠の南のガーナ王国や、エジプトの南のヌビア(現在のスーダン)などが挙げられます。

ガーナ王国の金を、ムスリム商人が岩塩と交換するサハラ交易が行われました。
ディナールとディルハムの法定換算比率は1ディナール=20ディルハムでしたが時代や地域とともに変化していきアッバース朝5代のハールーン・アッ=ラシード時代には
1ディナール:22ディルハム、時代により1ディナール=30ディルハムの比率も発生しました。


 

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