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【MS61】1780年 神聖ローマ帝国 ドイツ レーゲンスブルク ヨーゼフ2世 都市景観 ターラー銀貨

SOLD OUT
入手困難!
世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン。
世界中のコレクターを魅了してやまない希少な都市景観図です。

・希少な近世の都市景観コイン
・鑑定枚数僅か35枚のハイグレードコイン

といった素晴らしい条件が揃っています。
ぜひ下記詳細をご覧ください。

■デザイン

表面:神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の肖像
銘文:IOSEPHVS II.DGROM.IMP.SEMP.AVG

裏面:レーゲンスブルグの都市景観図
銘文:MONETA REIP.RATISPON.X.ST.EINEF.C.M 1780

■状態

MS61

■コイン詳細

【発行年】1780年
【発行国】ドイツ レーゲンスブルク
【額面】ターラー
【素材】銀
【重さ】約28g
【直径】約41mm
【表面】神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の肖像
【裏面】レーゲンスブルグの都市景観図
【NGC鑑定】MS61

■ポイント

*希少性
鑑定枚数35枚!
近世のターラー銀貨は状態の良いものが極めて少なく且つ、残存枚数も多くはありません、
鑑定枚数の少なさからも希少性が伺えます。

*状態
NGC第3位鑑定。
この上にはわずか6枚しかありません。
この時代の都市景観ターラーは良い状態のものが少ない中、大変希少なMS(完全未使用品)評価!
抜群の状態を保持しています。

*市場性
ターラー銀貨は多くの種類が発行されていますが、その中でも都市景観図は、とても美しくその芸術性の高さから世界中のコレクターに絶大な人気を誇っています。

さらに神聖ローマ帝国コインは歴史的な価値の高さからも非常に人気が高く、市場性も抜群です!

かつ他の銀貨とは一線を画す大型コインです。
大型コインはコレクター、投資家からの人気も高く世界中で高値で取引がされています。

*圧巻のサイズ感と芸術性!
直径41mmに描かれた”芸術的な都市景観図”
と、見ごたえがあり、たまらない1枚!

その人気の高さから市場からすぐに消えてしまう都市景観コイン!
在庫があるタイミングで是非コレクションに加えていただきたい逸品になります。

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン。

世界中のコレクターを魅了してやまない希少な都市景観図です。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

■神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世とは

ヨーゼフ2世(1741年3月13日 - 1790年2月20日)は、神聖ローマ帝国の皇帝であり、ハプスブルク家の出身でした。彼はマリア・テレジアと皇帝フランツ1世の息子であり、兄にはマリア・アントワネットがいます。在位中、ヨーゼフ2世は啓蒙専制君主として知られ、数々の改革と進歩的な政策を推進しました。

即位後、ヨーゼフ2世は宗教的寛容と市民権の拡大を進め、農奴制度の緩和を試みました。啓蒙思想の影響を受け、市民社会の形成を奨励し、教育制度の改革を進めました。同時に、行政機構の合理化や司法制度の改革を実施し、封建制度の弊害から国を解放しようとしました。

ヨーゼフ2世は文化や芸術にも優れた感性を持ち、美術や音楽、文学の発展が見られました。ウィーンは彼の宮廷において、モーツァルトやハイドンなど多くの著名な芸術家に支えられた文化の中心地となりました。

しかしながら、ヨーゼフ2世の改革は一部の領主や伝統主義者に反発を招き、また急進的な改革が社会に受け入れられるには時間がかかりました。彼の死後、後継者によって一部は取り消されることとなりましたが、ヨーゼフ2世の時代は神聖ローマ帝国において進歩と文化の興隆の時期として高く評価されています。

■レーゲンスブルグとは

レーゲンスブルクは、神聖ローマ帝国時代において、ドイツ南部バイエルン地域に位置する都市でした。この都市は、中世から近世にかけてドイツの帝国議会が開催される場所として特に有名で、帝国内の重要な政治的決定や交渉の舞台として機能しました。帝国議会には神聖ローマ皇帝とその諸侯、貴族、都市代表が参加し、帝国の行政や法律に関する重要な問題が議論されました。

また、レーゲンスブルクは交通の要所としても重要で、ドナウ川沿いに位置し、水路交通や陸路交通の結節点でした。この地理的な利点から、商業と文化の交流が盛んに行われ、都市は繁栄しました。特に中世の商人や巡礼者がレーゲンスブルクを訪れ、都市はさまざまな文化的影響を受けました。

建築的にも、レーゲンスブルクはその時代の特徴を示す多くの歴史的建造物を誇っていました。最も有名なのはレーゲンスブルク大聖堂で、このゴシック様式の大聖堂は帝国議会の開催地としても使用されました。大聖堂は美しい彫刻とステンドグラスで飾られ、その建築は中世の芸術と宗教の融合を示すものでした。

神聖ローマ帝国の崩壊後、レーゲンスブルクはバイエルン王国の一部となり、その歴史的な遺産と美しさは今日まで受け継がれています。

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