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【MS 5/5 4/5】641年~668年 ビザンツ帝国 コンスタンス2世 ソリダス金貨

SOLD OUT
世界中で根強い人気を誇るビザンツコイン!
通称ビザンチン!

1400年以上前の歴史と背景を誇りつつ、
MS鑑定を誇る最高状態のコインのご紹介です。

特に状態と市場性の高い金貨のご紹介になります。

■デザイン

表面:コンスタンス2世(在位:641年-668年)

裏面:階段上部に十字架、下に「CONOB」
帝国内には造幣所がいくつか存在しますが、金貨が発行されるのは都コンスタンティノープルのみであり、裏面には「CONOB(コンスタンティノープル製の純金)」と書かれています。

■状態

MS Strike:5/5 Surface:4/5

■コイン詳細

【発行年】641年~668年
【発行国】ビザンツ帝国(東ローマ帝国)
【額面】 ソリダス
【素材】金
【重量】4.32g
【直径】19mm
【表面】コンスタンス2世
【裏面】階段上部に十字架、下に「CONOB」
【NGC鑑定】MS 5/5 4/5

■ポイント

*希少性
この時代のビザンチン金貨は残存枚数は多いものの、状態が優れているものは極めて少なく、ハイグレード鑑定はとても希少な金貨となります。
しかも保有されている方が中々手放さないので、市場に出回りづらいコインとしても有名です。

*状態
・Strike(打刻)は満点!最高評価!
・Surface(表面)は、4とこちらも高評価!
・グレード: MS(完全未使用品)!

1400年も前とは思えないすばらしい状態を保持しています。

*市場性
ビザンツ帝国金貨、通称ビザンチン金貨はかわいらしいデザインから世界中のコレクターから愛されており、ビザンチン専門コレクターも存在するほど人気があります。
また底堅い人気から、近年価格もさらに上昇傾向にあります。

・歴史的価値がある古代コイン
・MS鑑定(完全未使用品)の保存状態
この条件を有したコインは世界中のコレクターから熱烈に愛されます。

抜群の将来性を誇るビザンチン金貨!
手の出しやすい価格帯のうちにぜひコレクションに加えてみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

絶大な人気を誇るビザンチン金貨!
MS鑑定を誇る最高状態の1枚です。

■ビザンツ帝国とは

ビザンツ帝国は、東西に分割統治されたローマ帝国の東側の継承国であり、330年にコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を首都として建国され、約1100年にわたって存続しました。ビザンツ帝国は、ローマの伝統を受け継ぎながらも、独自の文化、宗教、政治体制を形成しました。

この帝国の特徴は多岐にわたります。まず、ビザンツ帝国はキリスト教を国教とし、その後の東方正教会の発展に重要な役割を果たしました。また、ビザンツの皇帝は神聖な権威を持ち、政治的な指導者だけでなく、教会の保護者としても尊ばれました。

ビザンツ帝国は、外部からの侵略に常にさらされていましたが、数々の戦争や外交努力によって領土を拡大し、保持することに成功しました。その領土は、現代のトルコ、ギリシャ、エジプト、イタリア、シリア、イスラエルなどに及びました。

また、ビザンツは芸術、文化、教育の中心地でもありました。ビザンツ建築は美しいドームやモザイク装飾で知られ、文学や哲学も盛んに発展しました。ビザンツの学者たちは古代の知識を保存し、後のヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。

しかし、ビザンツ帝国は次第に弱体化し、1453年にオスマン帝国によって征服されました。しかし、その後もビザンツの文化や遺産は、東方正教会や西洋文化の発展に影響を与え続けました。ビザンツ帝国は、その長い歴史と多様な遺産により、世界史上で重要な地位を占める帝国となりました。

*ビザンツ帝国の始まり
ビザンツ帝国の成立時期については、330年のコンスタンティノープル建設、395年のローマ帝国の東西分裂による東ローマ帝国の独立、さらに西ローマ帝国の滅亡により476年に東ローマが唯一の「ローマ帝国」となったなど、いくつかの出来事が挙げられますが、確定的な見解は存在しません。

いずれにしても、ビザンツ帝国はローマ帝国の後継者であり、首都コンスタンティノープルは「第二のローマ」と称されました。しかし、その地域特有の要素から徐々にギリシア的な性格が強調され、西方教会(ローマ教会)との対立が鮮明になり、7世紀頃から「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになりました。

■コンスタンス2世とは

コンスタンス2世「ポゴナトス」は、641年から668年まで東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の皇帝として統治した人物でした。彼の治世は宗教、軍事、政治の各面で様々な課題に直面しました。

コンスタンス2世は630年に誕生し、ヘラクレイオス王朝の一員として、父ヘラクレイオス2世の後を継いで即位しました。彼の愛称「ポゴナトス」は、成人するまでヒゲを剃らなかったことに由来しています。

彼の統治時期は東ローマ帝国が多くの危機に直面していた時期であり、アラブ帝国との長期にわたる戦争や帝国領土の保護が課題となりました。コンスタンス2世の指導の下、帝国は一時的な勝利を収めましたが、その後も戦争と国境の脅威は続きました。

統治中、コンスタンス2世は司法制度や財政の改革を試み、帝国の行政の効率向上に努めました。軍事改革にも着手し、軍隊の近代化と強化を図りました。

668年にコンスタンス2世は亡くなりました。彼の統治は混乱と挑戦に満ちていましたが、彼の努力は帝国の存続と発展に寄与しました。彼の治世は東ローマ帝国の歴史における重要な節目であり、その政治的な取り組みと改革の遺産は後世に継承されました。

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