アンティークコインの販売ならレアコインショップ

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【MS67 PL】1873年 オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 ウィーン射撃祭 リストライク 4ダカット金貨

数量
3,605,000(税込)
入手困難!
市場ではほぼ見かけることができない希少大型金貨。
注目されているからこそリストライク(再鋳貨)された人気硬貨です。

世界中のコレクターに愛されるフランツ・ヨーゼフ1世のコインから
鑑定枚数わずか3枚!
しかも最高鑑定品と抜群の状態を保持するコインのご紹介です。

このサイズ感とデザインの美しさは圧巻です。

■デザイン

表面:12枚の盾に囲われたフランツ・ヨーゼフ1世

裏面:羽を広げた双頭の鷲の頭上に王冠
銘文:FEST FREI SCHIESSEN VOM WIENER SCHÜTZEN VEREIN 1873 4 DC

■状態

MS67PL

■コイン詳細

【発行年】1873年(リストライク1973年)
【発行国】オーストリア
【額面】 4ダカット
【材質】 金
【重量】約14g
【直径】36mm
【表面】12枚の盾に囲われたフランツ・ヨーゼフ1世
【裏面】羽を広げた双頭の鷲の頭上の上に王冠
【NGC鑑定】MS67PL

■ポイント
*希少性
NGC鑑定枚数わずか3枚(MSPLグレード)。
オリジナル品の鑑定枚数の少なさはもちろんですが、リストライク品の鑑定枚数も極めて少なく、市場ではなかなか見かけることのできない大変希少なレアコインとなっています。

また、フランツ・ヨーゼフ1世が描かれたコインはコレクターたちの間で高い人気を誇り、状態の良いコインは世界中のコレクターや投資家たちの争奪戦になり、市場に出るとすぐに姿を消してしまっています。

*状態
NGC最高鑑定品。
最高評価に近い抜群の状態を保持しています。

PL (PROOF LIKE) : プルーフライク
プルーフコインとして製造されたコインではなく、ミントステート(一般流通型の貨幣)コインの中に鏡面仕上げをしたようなプルーフコインに近い輝きをもったコイン。
プルーフライクは希少で、コインによっては他のものと比較すると数倍以上の値で取引されるなど、コレクターにとって非常に注目度の高い評価となります。

*市場性
世界で最も美しいとされている雲上の女神!
そこに描かれているフランツ・ヨーゼフ1世がモデルのコインは絶大な人気を博し、多くのコレクターがフランツ・ヨーゼフ1世のコインをポートフォリオに収めています。つまりは多くの市場参加者が狙っているコインと言う事でしょう。
また。リストライクされるということは、そのコインの人気が非常に高いことや、芸術的価値が高いことの証明でもあります。

さらに、希少性の高さ・芸術性の価値はもちろんですが、大型金貨はコレクター、投資家からの人気も高く世界中で高値で取引がされています。

・抜群の希少性
・”コレクター&投資家に大人気の大型金貨
という組み合わせは世界中のコレクターも注目の逸品です!

その秀逸なデザインによる人気の高さと、絶大な人気を誇るフランツ・ヨーゼフ1世が描かれた希少コインは世界中のコレクターを魅了してやみません。

美しさと芸術性があふれたこのダカット金貨は市場性と希少性を兼ね備えた今後の価格推移も大いに期待できる金貨です。
『タイミング』『ご予算』
ともに選ばれた人にしか手に取れないコレクション。
ぜひこのチャンスを逃さないでください!

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る希少コイン!
鑑定枚数わずか3枚のレアコインです。

■時代背景

1867年3月15日、ハンガリー議会はオーストリアとの合併を規定する「アウスグライヒ(和協)法案」を可決しました。これにより、フランツ・ヨーゼフ1世がオーストリア皇帝およびハンガリー王として両国を兼ね、外交、軍事、財政は共通になりましたが、憲法、議会、政府は独自のものを維持する同君連合体制が確立されました。

ハンガリー議会が「和協法」を可決した後の3か月後、つまり1867年6月8日には、フランツ・ヨーゼフ皇帝がハンガリー王に戴冠し、「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が実質的に成立しました。この新体制によって、かつてドイツから疎外されたオーストリアは中央ヨーロッパの大国としての地位を維持し、帝都ウィーンは世紀末美術の花が咲く繁栄を享受しました。同時に、ハンガリーも首都ブダペストの近代化などに成功し、前代未聞の繁栄を迎えることとなりました。

1908年にはオスマン帝国で青年トルコ革命が勃発し、混乱が広がると、オーストリアはその混乱を利用して、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合を強行しました。この地域には多くのセルビア人が居住していたため、セルビア王国の反発が強まり、1914年にはサライェヴォ事件が勃発しました。この事件を契機として、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に対して最後通牒を突きつけ、結果的に第一次世界大戦の勃発へと繋がっていくこととなりました。

■フランツ・ヨーゼフ1世とは

フランツ・ヨーゼフ1世はオーストリア皇帝であり、ハンガリー国王などの称号も兼ねていました。その全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンであり、ハンガリー国王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世、オーストリア帝国内のボヘミア国王としてはフランティシェク・ヨゼフ1世として知られています。

彼は驚異的な68年にわたる在位期間と、国民からの絶大な敬愛から、オーストリア帝国(またはオーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも称されました。晩年には「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でした。皇后は美貌で知られるエリーザベト。後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、しばしばオーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝とされています。

■ダカット(Ducat)とは

ダカットは、中世後期から20世紀の後半頃までヨーロッパで使用された硬貨。同時期を通じて、多様な金属で作られた様々なダカットが存在しました。
この硬貨が初めて発行されたのは、シチリア王ルッジェーロ2世統治下のプッリャ公国(公爵領)であったと考えられています。
「ダカット」という単語は中世ラテン語の"ducatus"(「公爵の」や「公爵領の」、又は「公爵の硬貨」の意。)が語源とされています。

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