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【SP62】1902年 イギリス エドワード7世 戴冠記念 金メダル

数量
3,502,000(税込)
入荷困難!
抜群の人気を誇るイギリスコインの中でも、
特に希少性と市場性に優れた大柄記念金メダルのご紹介となります。

・コレクターを魅了する芸術的な記念メダル
・投資家、コレクターも注目の大型コイン

といった素晴らしい条件が揃っています。

■デザイン

表面:エドワード7世
銘文:EDWARD VII CROWNED 9 AUGUST 1902

裏面:アレクサンドラ王妃
銘文:ALEXANDRA QUEEN CONSORT 9 AUGUST 1902

※最初に計画されたエドワード7世の戴冠式は、1902年6月26日に予定されていましたが、直前にエドワード7世が虫垂炎にかかり、回復を待つこととなりました。結局、戴冠式は改めて8月9日にウェストミンスター寺院で執り行われました。

造幣局の報告によれば、当初は6月26日の日付で大量の戴冠メダルが用意されていましたが、エドワード7世の病気によりすべて回収された模様です。ただし、この日付で作成されたメダルも存在し、それは大変レアなメダルとなっています。
本品は「9 AUGUST 1902」の記載があり、戴冠式に出席したゲスト達に贈られたメダルになります。

■状態

 SP62

■コイン詳細

【発行年】1902年
【鋳造地】イギリス
【発行枚数】260枚
【素材】金
【重量】91.21g
【直径】56mm
【表面】エドワード7世
【裏面】アレクサンドラ王妃
【刻印師】G. W. De Saulles
【PCGS鑑定】 SP62

■ポイント

*希少性
PCGS鑑定枚数13枚
戴冠式に出席したゲスト達に贈られた記念メダルゆえに発行枚数も少なく極めて高い希少性を誇っています。

エドワード7世コインは在位期間が10年間と短かったこともあり、人気があるうえさらにコレクターも手放すことがないのでしょう、市場に出てくるのは極めてまれで、出てきても人気の高さからすぐに姿を消してしまいます。

*状態
第3位鑑定品
この上には7枚しかありません。
グレードもSP評価と素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
アンティークコインでは王道のイギリスコイン!
近年の著しい値上がりをみてもイギリスコインの人気の高さは一目瞭然です!

さらに希少性の高さ・芸術性の価値はもちろんですが、大型メダルは、近年の金価格の上昇と共に、コインの持つ重量=金地金そのものの価値も高まり世界中で高値で取引されています。

*圧巻の特殊スラブとメダルサイズ!
重量91.21グラム
直径56MM
と、サイズ、重量ともに圧巻。見ごたえがあり、たまらない1枚。

・インパクトあるサイズ感と重量
・立体感のある美しいデザイン
は格別で、ぜひ手にとって見ていただきたいです。

”王道のイギリスコイン”×”希少な大型金メダル”
の組み合わせは世界中の投資家、コレクターも注目の逸品!

資産として、投資として、コレクションとして、
どれをとっても申し分のない 末長く所持していたい逸品です!

▼コインのストーリー

■概略

世界市場で抜群の人気を誇るイギリスコイン!
エドワード7世が描かれた希少な大型記念金メダルです。

■イギリスの歴史について

イギリスはヴィクトリア女王の治世下にあり、ヴィクトリア朝が絶頂期に達していました。ヴィクトリア女王は当時80歳を超え、イギリス史上最も長寿の君主として知られていました。彼女の統治は1837年から続き、1901年1月22日に逝去するまで続きました。この時期は、イギリスが工業化と帝国主義の時代を経て、国際的な大国としての地位を築いた時代でもあります。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス社会は大きな変革の時期に突入していました。産業革命による工業化が進み、都市部の人口が急増しました。一方で、この時期は社会的な不平等や労働者の権利を巡る問題が浮き彫りになり、労働組合や社会主義の影響が拡大していきました。

外交面では、ヴィクトリア朝末期には各国との関係が複雑でした。特にヨーロッパにおける列強との外交関係が注目されました。この時期には、エドワード7世が1901年にヴィクトリア女王の死後に即位し、国際的な外交政策において重要な役割を果たしました。彼の時代には、日英同盟、英仏協商、英露協商などが結ばれ、イギリスは国際的な均衡を模索しました。

複雑な社会的、政治的な動きが交錯する中で、1900年のイギリスは大きな変革と不確実性の時代を迎えていました。

■エドワード7世について

エドワード7世(アルバート・エドワード、1841年11月9日 - 1910年5月6日)は、19世紀末から20世紀初頭にかけての重要な王政期を象徴する君主でした。彼はヴィクトリア女王の長男であり、1901年から1910年までイギリスとその植民地の君主として在位しました。

エドワード7世の即位は、長寿であった母親のヴィクトリア女王の統治の終焉を意味し、エドワード時代とも呼ばれるこの時期は、劇的な社会変化や国際的な動乱が進行していました。彼はヴィクトリア朝の重苦しい雰囲気から一新し、社交的で開かれたスタイルで知られました。

エドワード7世は、外交においても積極的な役割を果たし、彼の治世中には、日英同盟、英仏協商、英露協商が締結され、日本・フランス・ロシアとの関係が強化されたため、「ピースメーカー」と称されました。

エドワード7世はまた、産業革命や技術の進歩によって変化する社会において、王室の役割を再検討し、モダンで進歩的なイメージを築こうとしました。彼のライフスタイルやファッションは、時代の流行を反映し、新しい時代の到来を象徴していました。

1910年に亡くなったエドワード7世は、息子のジョージ5世に王位を継承させました。彼の統治は、イギリスが大戦争へと突入する前における穏健で前向きな時代を象徴し、その寛大なスタイルは多くの人々に親しまれています。

■アレクサンドラ王妃について

アレクサンドラ王妃(アレクサンドラ・オブ・デンマーク、1844年12月1日 - 1925年11月20日)は、エドワード7世の妃として知られ、彼との結婚によりイギリス王室における重要な地位を占めました。彼女はデンマークの王室出身で、結婚後は「クイーン・アレクサンドラ」として親しまれました。

アレクサンドラ王妃は、美貌と気品に富んだ女性として一般に愛され、彼女のファッションや社交のスキルは時代を象徴しました。また、彼女は文化や芸術にも関心を寄せ、美術やファッションにおいて重要な影響力を持っていました。

彼女の役割は王室の公的行事や慈善活動において重要であり、特に慈善事業に献身的であったことで知られています。第一次世界大戦中には、傷病兵や戦争孤児への支援に尽力し、その慈善活動によって国民の尊敬を集めました。

アレクサンドラ王妃はまた、夫であるエドワード7世が「ピースメーカー」として知られるように、国際的な外交においても役割を果たしました。彼女の貢献は、当時のヨーロッパにおける外交的な緊張を和らげる上で重要なものでした。

1925年に亡くなったアレクサンドラ王妃の死は、多くの人々に深い悲しみをもたらしましたが、その生涯はイギリス王室の歴史において、美徳と親善の象徴として永遠に記憶されています。

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