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【MS63】1789年~1797年 イタリア ヴェネツィア ルドヴィコ・マニン ゼッキーノ金貨

ASK
デザインの美しさに世界のコレクターが注目!
歴史的背景も魅力な人気コインです。

芸術的なデザインで注目を集めるイタリアコインから
特に状態に優れた人気金貨のご紹介となります。

■デザイン

表面:ヴェネツィアの守護聖人マルコとルドヴィコ・マニン(総督)
銘文:S・M・VENET LVDOV・MANIN DVX

裏面:15個の星が並ぶ楕円の中に、全身像のイエス・キリスト
銘文:SIT・T・XPE・DAT・Q・TV REGIS・ISTE・DVCA

■状態

 MS 63

■コイン詳細

【発行年】1789-1797年
【鋳造地】イタリア
【額面】1ゼッキーノ
【NGC鑑定枚数】226枚
【素材】金
【重量】3.48g
【直径】約22mm
【表面】ヴェネツィアの守護聖人マルコとルドヴィコ・マニン(総督)
【裏面】15個の星が並ぶ楕円の中に、全身像のイエス・キリスト
【NGC鑑定】MS63

■ポイント

*希少性
NGC鑑定枚数226枚!
鑑定枚数も多くなく、さらに流通貨幣として使用されていたためコレクション対象となる状態のコインは多くはありません。

*状態
NGC第4位鑑定。
約250年以上前のコインでMS(完全未使用品)評価と素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
「アドリア海の女王」として知られた海洋国家、ヴェネツィア共和国。その千年の歴史に幕を下ろしたのは、かの有名なナポレオン・ボナパルトでした。
1797年、イタリア侵攻を図るナポレオン率いるフランス軍とオーストリア軍との間で締結されたカンポ・フォルミオ条約によって、ヴェネツィアはオーストリア領となり、共和国は消滅しました。

ヴェネツィア共和国の滅亡直前に鋳造されたこの金貨は、ヴェネツィアの歴史的な終焉を象徴する芸術遺産として、コインコレクターや歴史愛好者たちの中で愛され続けています。

ヨーロッパ金貨の値上がりが激しい中で、
イタリア金貨はまだ比較的手が出し易い価格で購入が可能となっています。
とはいえ今後ますます注目をされていくコインとなりますので
この価格帯のうちにコレクションに加えることをお勧めいたします。

・歴史的価値がある希少コイン
・コレクターも注目の人気デザイン
という組み合わせは世界中のコレクターから注目を集める逸品になります。

お求めやすい価格でありながら、その価値の成長に期待の膨らむイタリアコイン!
お手ごろな価格のうちにコレクションし今後の値動きを楽しんでみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

デザインの美しさに世界のコレクターが注目!
歴史的背景も魅力的な人気コインです。

■時代背景

18世紀末のイタリアは、数多くの小国に分裂し、オーストリアやフランスなどの外国勢力に支配されていました。
1796年、フランス総裁政府はナポレオンをイタリアに派遣しました。ナポレオンはオーストリア軍とサルデーニャ軍を破り、北イタリアにチザルピナ共和国を樹立しました。ミラノを首都としたこの共和国は、フランスの保護国となりました。

1799年にナポレオンがフランスの権力を掌握すると、イタリア各地に新しい政権が誕生しました。しかし、これらの政権は互いに争い、イタリアは再び混乱に陥りました。

1800年、ナポレオンは再びイタリアに侵攻し、オーストリアをイタリアから排除しました。その後、イタリアはフランスの支配下に置かれ、シチリア島とサルデーニャ島を除いて、フランス皇帝ナポレオン1世の支配を受けました。

ナポレオン支配下のイタリアでは、フランス革命の精神に基づいた改革が進められました。封建制度が廃止され、法の下の平等が確立されました。また、教育制度や経済制度も改革されています。

1814年、ナポレオンは敗北し、ヨーロッパの国際秩序はフランス革命前の体制に戻されました。しかし、ナポレオン支配によってイタリアに持ち込まれた自由と平等という思想は、その後もイタリア人の心に残り、イタリア統一運動へとつながっていくこととなります。

■ヴェネツィア共和国

ヴェネツィア共和国は、現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に亘り、歴史上最も長く続いた共和国。「アドリア海の女王」とも呼ばれ、東地中海貿易によって栄えた海洋国家でありました。

ヴェネツィア共和国の特筆すべき特徴の一つは、寡頭制度に基づく政治構造でした。ドージェ(Doge)と呼ばれる統治者が中心となり、富裕な商人階級が政治的な発言力を有していました。この寡頭制は、安定した統治と商業の繁栄をもたらし、ヴェネツィアが海上貿易で大いに栄える基盤を築く一因となりました。

ヴェネツィアはまた、独自の海洋帝国を築き上げました。地中海や東方への交易路を掌握し、東方貿易において中継点としての役割を果たしました。この商業的成功は、ヴェネツィアが豊かな文化と芸術の発展を支え、ヴェネツィア派と呼ばれる絵画スタイルや建築の新たな潮流を生み出す原動力となりました。

ヴェネツィアの美しい水上都市の景観や独自の建築様式は、今日でも世界中から多くの観光客を引き寄せています。しかし、共和国の黄金期は次第に衰退し、1797年にナポレオン・ボナパルトによって併合され、その歴史に幕を閉じました。ヴェネツィア共和国はその独自性と輝かしい歴史により、今なお歴史愛好者や文化ファンにとって魅力的な存在となっています。

■ルドヴィコ・マニンとは

ルドヴィコ・マニン(Lodovico Manin)は、18世紀後半から19世紀初めにかけてヴェネツィア共和国最後のドージェ(総督)でした。1737年に生まれ、1789 年 3 月 9 日から1797 年に崩壊するまでヴェネツィア共和国を統治しました。

ルドヴィコ・マニンは、ヴェネツィア共和国の最後のドージェであり、その統治は短い期間でした。在任中にフランス革命の影響下にあるフランス軍と戦い、1797年に敗北、フランス軍に降伏し、ヴェネツィア共和国はフランスに併合され消滅しました。

ヴェネツィアの政治家としては比較的小さな役割しか果たしていませんでしたが、最後のドージェであったことで彼の名前は歴史に残っています。彼は、ヴェネツィア共和国の消滅を経験し、それによってヴェネツィアの自由と独立を失った人々にとっては、その象徴的存在となりました。

■ゼッキーノ金貨とは

ゼッキーノ (Zecchino) は、ヴェネツィアの金貨でフィレンツェのフィオリーノと同じ重さ。1284年からヴェネツィア共和国で発行されていました。またドゥカートという名前でも知られています。

フランチェスコ・ヴェニエル総督(1554年 – 1559年) により、当初一般的にゼッキーノと呼ばれ、この時期には7リラ12ソルドの価値がありました。

表面にはドージェ(イタリア語で国家元首を指す言葉)が聖マルコに跪いていて、裏面はキリストが描かれています。 ゼッキーノの金含有量は時代によってまちまちであったが、平均3.494から3.559グラムの重量で純金でありました。(997‰)

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