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【MS64★】1649年 ドイツ 神聖ローマ帝国 レーゲンスブルク ノアの箱舟 1ダカット金貨

SOLD OUT
鑑定枚数わずか4枚のレアコイン!
三十年戦争終結を記念して発行された歴史的背景も魅力な1枚。

世界のコレクターに大人気の神聖ローマ帝国コインから
上位鑑定品の状態が良い希少な1枚のご紹介となります。

■デザイン

表面:虹の下で枝を口にくわえて飛ぶ鳩、嵐の海を航海するノアの方舟とその下に紋章
裏面:花輪の中に碑文、文面は10 月 16 日のレーゲンスブルクでの平和祝賀を祝うものです

■状態

MS64★

■コイン詳細

【発行年】1649年
【発行国】ドイツ
【額面】1ダカット
【素材】金
【直径】19mm
【表面】嵐の海を航海するノアの方舟
【裏面】花輪の中に平和祝賀を祝う碑文
【NGC鑑定】MS64★

■ポイント

*希少性
NGC鑑定枚数わずか4枚!
鑑定済コインも僅かしかなく残存枚数からも特筆すべき希少性が伺えます。

*状態
NGC第2位鑑定品
この上には1枚しかありません。
この時代のコインは良い状態のものが少ない中、大変希少なMS(完全未使用品)評価!
さらに「+」表記は限りなく上位のグレードに近いことを意味します。
約400年も前とは思えない素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
ドイツの宗教内乱に端を発し、後にヨーロッパの各国が介入して国際的な戦争となった、最後にして最大の宗教戦争ともいわれる三十年戦争。本品はその戦争の終結を記念して作成された極めて希少な芸術遺産ともいえる金貨です。

表面には戦争の激流を象徴する嵐の中を漂うノアの箱舟。繊細で緻密に描かれた印象的なデザインは世界中のコレクターを魅了すること間違いありません。

・歴史的価値があるコイン
・完璧な保存状態
この条件を有したコインは世界中のコレクターから熱烈に愛されます。

400年前のコインとは思えない美しい輝きを保ち、
歴史的な芸術遺産とも言えるこのコイン。
コレクションとしても、投資対象としても申し分のない1枚です。

▼コインのストーリー

■概要

三十年戦争終結を記念して発行された歴史的芸術遺産!
ノアの箱舟が描かれた希少なハイグレード金貨です!

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

■三十年戦争とは

三十年戦争は、神聖ローマ帝国内で発生し、さらにヨーロッパ全体に波及した宗教的、政治的な紛争が背後にありました。この戦争は、さまざまな要因によって引き起こされましたが、その中で最も重要な要因は宗教的対立でした。

戦争の背後には、カトリックとプロテスタントの宗教対立が存在しました。帝国内での宗教改革の影響が根強く残り、カトリックとプロテスタントの信者が対立し、宗教的に異なる地域や領邦での政治的支配を巡る争いが激化しました。特に、ボヘミアでの宗教的対立が戦争のきっかけとなり、1618年にプラハで「窓からの投擲事件」が発生し、戦争が勃発しました。

三十年戦争は、フェーズごとに異なる段階を経ていきました。初期のフェーズでは、プロテスタント連合とカトリック連合といった対立する勢力が衝突し、さまざまな戦闘が繰り広げられました。

戦争は時間の経過とともに、帝国外部の大国も巻き込むようになり、スウェーデン、フランス、スペイン、オランダなどが参戦しました。ウェストファリア条約として知られる、1648年に結ばれた和平条約が戦争を終結させました。この和平条約により、宗教的対立の解消と、神聖ローマ帝国内の各領邦の独立性が確認されました。

また、戦争によって帝国内外に多大な犠牲が出たことから、戦争の惨禍を記念するための記念碑や墓地が多く建設されました。
三十年戦争は、ヨーロッパの政治的地図を大きく塗り替える出来事であり、近代国際法の初めの一歩とも言われています。

■レーゲンスブルグとは

レーゲンスブルクは、神聖ローマ帝国時代において、ドイツ南部バイエルン地域に位置する都市でした。この都市は、中世から近世にかけてドイツの帝国議会が開催される場所として特に有名で、帝国内の重要な政治的決定や交渉の舞台として機能しました。帝国議会は神聖ローマ皇帝とその諸侯、貴族、都市代表が参加し、帝国の行政や法律に関する重要な問題を議論しました。

また、レーゲンスブルクは交通の要所としても重要で、ドナウ川沿いに位置し、水路交通や陸路交通の結節点でした。この地理的な利点から、商業と文化の交流が盛んに行われ、都市は繁栄しました。特に中世の商人たちや巡礼者がレーゲンスブルクを訪れ、都市はさまざまな文化的影響を受けました。

建築的にも、レーゲンスブルクはその時代の特徴を示す多くの歴史的建造物を誇りました。最も有名なのはレーゲンスブルク大聖堂で、このゴシック様式の大聖堂は帝国議会の開催地としても使用されました。大聖堂は美しい彫刻とステンドグラスで飾られ、その建築は中世の芸術と宗教の融合を示すものでした。

神聖ローマ帝国の崩壊後、レーゲンスブルクはバイエルン王国の一部となり、その歴史的な遺産と美しさは今日まで受け継がれています。

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