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【AU58】1852年(AH1268) イラン ガージャール朝 1トーマン金貨

SOLD OUT
世界のコレクターも注目の1枚!
鑑定枚数わずか2枚のレアコイン。

近年注目度の高い中東コインから、
特に希少性に優れた金貨のご紹介になります。

■デザイン

表面:文言
裏面:文言

■状態

AU58

■コイン詳細

【発行年】1852年(AH1268)
【鋳造地】イラン
【額面】1トーマン
【素材】金
【重量】3.42g
【表面】文言
【裏面】文言
【PCGS鑑定】AU58

■ポイント

*希少性
PCGS鑑定枚数わずか2枚!
鑑定済コインも僅かしかなく残存枚数からも特筆すべき希少性が伺えます。

*状態
PCGS最高鑑定品
この時代の中東コインは状態の良いものが少ない中AU評価(準未使用)!
素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
中東コインは芸術性の高さや希少性も相まって世界中のコレクターから非常に高い注目を集めています。
そのため近年の価格上昇も著しく、今後も非常に高い伸びしろ、上昇率が期待されています。

お求めやすい価格でありながら、その価値の成長に期待の膨らむレアコイン!
お手ごろな価格のうちにぜひコレクションしていただきたい1枚です。

▼コインのストーリー

■概要

今大注目の中東コイン!
抜群の状態を誇る希少な1枚です。

■ガージャール朝とは

ガージャール朝は、1796年から1925年までの間、イランを支配した王朝であり、その統治期間は約130年に及びました。この王朝は、政治的な不安定さと外部からの侵略に直面する中で成立し、イランの歴史における重要な転換期を象徴しています。

ガージャール朝の創始者は、アーガー・モハンマド・シャー(Agha Mohammad Shah)であり、彼はガージャール朝を確立し、首都をテヘランに置きました。この時期、イランはロシア帝国とオスマン帝国の間で継続的な領土紛争と戦争にさらされ、経済的な困難に直面しました。ガージャール朝はこれらの問題に対処しながら、近代化と改革を進め、官僚制度の改革や外交政策の調整を行いました。

19世紀末には、ナーセロッディーン・シャー(Naser al-Din Shah)の統治下でガージャール朝はさらに近代化を推進し、鉄道や通信網の建設、教育制度の改革などが行われました。しかし、この時期にもイランは外部の圧力に晒され、ロシアとイギリスの干渉を受けました。

20世紀初頭、イランでは国内的な不満と革命の動きが高まり、1906年には憲法制定国会が設立されました。これにより、絶対君主制から立憲君主制への移行が始まりました。最終的に、1925年にレザー・ハーン・パフラヴィーがガージャール朝の最後の君主であるアフマド・シャーを退位させ、パフラヴィ朝を開始しました。

ガージャール朝は、イランの歴史において政治的な変革と外部からの圧力に対処しながら、国内外でさまざまな挑戦に立ち向かった王朝として記憶されています。その統治期間は、イランの近代化と政治的な進化の舞台となりました。

■トーマンとは

イランの通貨であるトーマン(Toman)は、イランの歴史的な通貨であり、現在も広く使用されています。トーマンは元々、モンゴル語で「トゥメン」という言葉から派生したもので、その意味は「10000」を指します。この通貨単位は、1932年までパフラヴィー朝の統治下で使用されており、補助単位はディナールで、1トーマンは10000ディナールに相当しました。

18世紀末から19世紀初頭にかけて、トーマンは1/8リヤルに細分化され、1トーマンは1250ディナールに等しい価値を持っていました。その後、1825年にイラン・キランが導入され、1トーマンは1000ディナール、10キランに設定されました。

しかし、1932年にイランでは通貨改革が行われ、1トーマンは10リヤルに相当する価値となり、リヤルが公式の通貨単位として採用されました。それにもかかわらず、多くのイラン人は今でも日常的な取引や価格表示において、トーマンの単位を使い続けています。特に非公式な環境では、1,000トーマンや1,000,000トーマンといった大きな区分で価格が表され、生産量の大きさに応じてトーマンが広く使用されています。

このように、トーマンはイランの通貨史において重要な役割を果たし、現代でも一部の取引や価格表示において広く受け入れられています。

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