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【MS63】1630年 神聖ローマ帝国 ドイツ ザクセン 2ダカット 金貨 アウクスブルク信仰告白 100周年記念金貨

SOLD OUT
入手困難!
”歴史的価値の高いコイン”×”高品質の状態”

根強い人気を誇る神聖ローマ帝国のコインから
特に希少性と状態に優れた記念金貨のご紹介となります。

■デザイン

表面:ヨハン・ゲオルク1世肖像、左上に日付(1630年)
裏面:ヨハン肖像、左上に日付(1530年)

アウクスブルク信仰告白 100周年記念金貨の為、
表面には1630年の記載が、裏面には1530年の記載があります。

■状態

MS63

■コイン詳細

【発行年】1630年
【発行国】ドイツ
【額面】2ダカット
【PCGS鑑定枚数】6枚
【素材】金
【重量】6.95g
【PCGS鑑定】MS63

■ポイント

*希少性
アウクスブルク信仰告白100周年記念金貨として発行されたコイン。
PCGS鑑定枚数はわずか6枚。
鑑定済コインも僅かしかなく残存枚数からも希少性を伺えます。

*状態
PCGS第2位鑑定品
この上には1枚しかありません。
この時代のダカット金貨にはダメージ等がある物が多いですが、本品は特にマイナス点も指摘されていないMS評価!
400年前とは思えない素晴らしい状態を保持しています。

*市場性
神聖ローマ帝国を舞台として起こった三十年戦争にも関わる、ヨハン・ゲオルク1世の金貨!
”歴史的価値の高いコイン”×”高品質の状態”
は世界中のコレクターが注目し、市場からすぐに消えてしまいます。

希少性・市場性・状態全てで最高満点の資産価値の高い金貨です。
美しい輝きと芸術性あふれる作品をこの機会にぜひその手でお確かめください。

▼コインのストーリー

■概要

根強い人気を誇る神聖ローマ帝国のコイン。
神聖ローマ帝国を舞台として起こった三十年戦争にも関わる、ヨハン・ゲオルク1世が描かれた希少金貨です。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国は、ローマ帝国の後継国家を自称し、神聖ローマ皇帝によって統治され、神聖ローマ皇帝は、神聖ローマ教会(Catholic Church)の支持を受け、神の意思によって選ばれたとされていました。

神聖ローマ帝国の成立は、フランク王国の皇帝カール大帝の死後、東フランク王オットー1世がイタリアを征服し、教皇ヨハネス12世によって962年に皇帝に戴冠されたことに始まります。以降、神聖ローマ帝国は、諸侯が自らの領土を支配し、皇帝は主に外交や司法を担当するという、分権的な政治体制が確立されました。

神聖ローマ帝国は、ドイツを中心とした中欧に広がり、領域は時期によって拡大や縮小を繰り返しました。帝国の領土は、選帝侯や帝国直轄領、自由都市などに分かれ、地域によって政治や社会の制度が異なっていました。

神聖ローマ帝国は、中世ヨーロッパの政治・文化・宗教史にも大きな影響を与えています。帝国内の諸侯や都市国家は、相互に競い合いながら文化や技術の発展を促し、キリスト教文化の拠点としても機能しました。また、宗教改革の時期には、神聖ローマ皇帝やカトリック教会との対立が起こり、帝国内部でも宗教分派の対立が深まりました。

18世紀に入ると、神聖ローマ帝国は国際政治において影響力を失い、プロイセン王国やオーストリア帝国などの国家に取って代わられることとなります。1806年には、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトによって解体され、1806年8月6日に神聖ローマ皇帝フランツ2世は、自らの皇帝の地位を廃止し、神聖ローマ帝国はその歴史に幕を閉じました。

■ヨハン・ゲオルク1世とは

ヨハン・ゲオルク1世は、16世紀後半にポーランド・リトアニア共和国の国王を務めた人物。彼は1572年から1696年までの24年間、ポーランド王位を保持していました。

ヨハン・ゲオルク1世は、ドイツのザクセン選帝侯家の出身であり、神聖ローマ帝国の諸侯の1人でもありました。彼は、父親の遺産を受け継いで、非常に豊かな財力を有していました。また、彼は知識人でもあり、音楽や文学、美術などにも興味を持っていました。

ヨハン・ゲオルク1世は、ポーランドの政治や社会に大きな影響を与えました。彼は、ポーランドにおけるプロテスタントの権利を擁護し、カトリック教会との対立を深めました。また、彼はポーランドの貴族たちとの関係を築き、貴族たちによる自由な議会制度を支持しました。これにより、ポーランドは西欧諸国に先駆けて近代的な議会制度を持つ国家の1つとなりました。

一方で、ヨハン・ゲオルク1世の治世は、外交面での失敗や内部の政治的混乱により、国力の低下を招いてもいます。また、彼は自身の利益を優先するあまり、貴族たちとの軋轢を生み、ポーランド王位を失う原因ともなりました。

ヨハン・ゲオルク1世は、政治的混乱を招くもののポーランドの歴史において、プロテスタントの権利や議会制度の確立などの面で重要な役割を果たしています。

■神聖ローマ帝国30年戦争とは

三十年戦争は、17世紀初頭から半ばにかけて、神聖ローマ帝国を中心に起こった戦争です。この戦争は、宗教的、政治的な要因が複雑に絡み合ったものであり、ヨーロッパに大きな影響を与えました。

戦争の起因は、プロテスタント教徒とカトリック教徒の対立にあります。当時の神聖ローマ帝国は、宗教改革以降、プロテスタントとカトリックの勢力が入り乱れており、両者の対立が激化していました。また、帝国内の諸侯や外国の国家も、この対立を利用して自らの勢力拡大を図りました。

戦争は、1618年にボヘミアで始まりました。この地域では、カトリック派の皇帝フェルディナント2世がプロテスタント派の貴族たちの権利を侵害したため、反乱が勃発しました。これがきっかけとなって、ボヘミアを中心に戦争が広がっていきました。

戦争は、プロテスタント派とカトリック派の激しい戦いとなり、ヨーロッパ中で多大な被害をもたらしました。また、外国の国家も戦争に介入し、複雑な情勢を作り出しました。1630年には、スウェーデン王グスタフ・アドルフが介入し、プロテスタント側に加わりました。

しかし、戦争は長期化し、膠着状態に陥りました。戦争の継続による人的、物的な被害が膨大なものになり、ヨーロッパの経済、社会、政治に大きな影響を与えました。最終的に、1648年に西ファリア条約が締結され、戦争は終結しました。この条約により、プロテスタントとカトリックの対立が終わり、神聖ローマ帝国内での宗教的な自由が認められました。

三十年戦争は、ヨーロッパの歴史において大きな意味を持つ戦争であり、宗教的、政治的な影響を長期にわたって与えることになります。

■アウクスブルク信仰告白 100周年記念とは

アウクスブルク信仰告白は、1530年にドイツで開催された帝国議会で、プロテスタント諸侯や都市の代表たちが集まって行われた宗教上の声明(ルター派教会が用いる信仰告白のひとつ。アウクスブルク信条とも)であり、プロテスタントの信仰を表明したものです。

1530年にフィリップ・メランヒトンによってドイツのアウクスブルクで起草されたことからこの名があります。

2020年は、アウクスブルク信仰告白が発表されてから500年を迎える節目の年でした。この500年の歴史は、宗教改革が起こった時代から、現代に至るまでのドイツとヨーロッパの歴史と深く結びついています。アウクスブルク信仰告白は、プロテスタントの信仰の基盤となり、プロテスタント教会の歴史の中でも重要な位置を占めています。

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