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【MS62~MS61】1903年〜1908年 イタリア バチカン ローマ教皇ピウス10世 記念金メダルセット

SOLD OUT
年号違い唯一鑑定品7枚セット!
世界最高の大型金メダルセット入荷です。

■デザイン

【表面/裏面】
1: (1903年) コンクラーヴェ(教皇選挙)
2: (1904年) 列聖 (聖人化)
3: (1905年) カテキズム (キリスト教教理)
4: (1906年)  エピスコポス (キリスト教における監督)
5: (1907年) モダニズムの糾弾
6: (1908年) ローマ教皇庁の新体制(Curia Romana)

■状態

1: (1903年) :MS61 唯一鑑定品
2: (1904年) :MS61 唯一鑑定品
3: (1905年) :MS62 唯一鑑定品
4: (1906年) :MS62 唯一鑑定品
5: (1907年) :MS61 唯一鑑定品
6: (1908年) :MS62 唯一鑑定品

■コイン詳細

【発行年】1903年〜1908年
【鋳造地】ローマ/バチカン市国
【NGC鑑定枚数】各年度1枚
【素材】:金
【重量】:
1: (1903年) :53.68g
2: (1904年) :51.38g
3: (1905年) :50.8g
4: (1906年) :53.71g
5: (1907年) :54.34g
6: (1908年) :54.27g
・6個合計: 318,18グラム
・純金分: (約) 292,7グラム
・金品位: (約): 920/1000
【直径】:約43.5mm
【NGC鑑定】MS61~MS62
【専門書】:Alfio Rinaldi 「Catalogo delle Medaglie Papali Annuali de Pio VII a Paolo VI」
Rinaldi-98 
Rinaldi-99
Rinaldi-100
Rinaldi-101
Rinaldi-102
Rinaldi-103

■ポイント

*希少性
全7枚共にNGC唯一鑑定品!

発行枚数もごく少数。
Vaticanメダルの世界1番の「権威」である「Modesti氏」によると、
・Leo XIII (1878年〜1903年)の「代」から、Pius X (1903年〜1914年) 
・Benedict XV (1914年〜1922年) 
・Pio XI (1922年〜1939年) 
の歴代法王金メダル発行数は、『10個〜25個』と言われています。

*状態
NGC社最高鑑定品
全てのコインがMS評価!
保存状態もよく、素晴らしい状態です。

*市場性
全世界のバチカン&メダルコレクター垂涎の的!
これほどの希少性の高いメダル、
そして6枚揃えたセットはお目にかかれません。

タイミング、予算ともに選ばれた人にしか手に取れないコレクション。
ぜひこのチャンスを逃さないでください!

▼コインのストーリー

■概要

第257代ローマ教皇「聖人 ピウス10世」在任中に作成された大型金メダル。
在任初年度から6年連続発行された金メダルがそろっています。

■バチカンとは

バチカンとは、バチカン市国とカトリックの総本山の総称。国家としてのバチカン市国は、1929年に独立国家となったヨーロッパにある国家で、その領域はローマ市内にあり、国土面積は世界最小である。

バチカンはローマ教皇(聖座)によって統治される国家であり、カトリック教会と東方典礼カトリック教会の中心地、いわば「総本山」である。国籍は聖職に就いている間にかぎり与えられる。

バチカンという名称は、この地の元々の名前であった「ウァティカヌスの丘」 からとられています。ここに教会が建てられ、やがてカトリック教会の中心地となった元々の理由は、この場所で聖ペトロ(新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。初代ローマ教皇とされる。)が殉教したという伝承があったためです。

■ローマ教皇ピウス10世とは

ピウス10世は、ローマ教皇(在位:1903年8月4日 - 1914年8月20日)、カトリック教会の司祭。本名はジュゼッペ・メルキオッレ・サルト。カトリック教会の聖人であり、16世紀のピウス5世以来、400年ぶりに教皇として列聖(列聖 とは、キリスト教で聖人崇敬を行う教会が、信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位にあげることをいう。死後に行われる。)された人物である。

ジュゼッペ・サルトは1835年にヴェネツィアに近いリエーゼで農家の息子として生まれます。パドヴァとトレヴィーゾの神学校で学び、1858年に司祭に叙階され、その後、マントヴァの司教を経て、1896年に枢機卿としてヴェネツィアの大司教に任命されました。

1903年8月、レオ13世の死後に行われた教皇選挙は、拒否権が行使された最後の選挙となりました。拒否権は(オーストリアの意向を受けて)最有力候補であったマリアーノ・ランポッラ枢機卿に対して行使され、結果として選ばれたのがサルトでありました。彼はピウス10世を名乗るとまず、この教皇選挙における拒否権を廃しています。

ピウス10世は保守的な教皇としても知られ、「近代主義」と「相対主義」をキリスト教を脅かす思想として警戒しました。また頻繁な聖体拝領と子供の早い時期での初聖体を奨励しています。
サラエボ事件の直後は、オーストリア皇位継承者カールに、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に戦争の危険性を十分に認識させるよう手紙を送るなど、第一次世界大戦回避に手を尽くそうとしました。自分の治世に、歴史上なかった大戦争が勃発したことにショックを受け、1914年にこの世を去っています。
1954年5月29日、ピウス12世によって列聖されました。

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