【MS62】1918/19年(ヒジュラ暦1336年)イスラム王朝 オスマン帝国 メフメト6世 25クルシュ金貨
SOLD
OUT
オスマン帝国消滅前に鋳造された金貨!
上位グレード品入荷です!
近年注目度の高いイスラムコインの中でも、
特に状態と希少性の高いコインとなります。
■デザイン
表面:スルタン(君主、支配者)の国璽
裏面:花輪の中央に造幣局名(Qustantiniyah = Constantinople)
■状態
MS62
■コイン詳細
【発行年】1918年?1919年
【鋳造地】コンスタンティノープル
【額面】25クルシュ
【NGC鑑定枚数】5枚
【素材】:金
【重量】:約1.8g
【直径】:約16.5mm
【表面】:スルタン(君主、支配者)の国璽
【裏面】:花輪の中央に造幣局名
【NGC鑑定】MS 62
■ポイント
*希少性
NGC鑑定枚数5枚。
この時代のイスラムコインは鑑定枚数も少なく状態の良いものを探すことはとても困難です。
*状態
NGC社第3位鑑定品
素晴らしい状態を保持しています。
*市場性
今非常に注目度が高いイスラムコイン。
本品のような上位グレード品はなかなかお目にかかれません。
イスラムコインは近年上昇が著しく、
今後ますます注目をされていくコインとなります!
そのため、非常に高い伸びしろ、上昇率が期待されます。
お手ごろな価格のうちにぜひコレクションしていただきたい1枚です。
▼コインのストーリー
■概要
オスマン帝国消滅前に鋳造された金貨!
近年注目度の高いイスラムコインの中でも、特に状態と希少性の高いコインです。
■オスマン帝国とは
オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主を戴く多民族帝国。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を征服し、この都市を自らの首都とした。17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大し、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ。
オスマン帝国は中央同盟国として第一次世界大戦に参戦し、敗戦。敗戦後の講和条約のセーブル条約は列強によるオスマン帝国の解体といえる内容だったため、同条約に反対する勢力がアンカラに共和国政府(オスマン帝国政府に対抗してトルコ国民運動に率いられた)を樹立し、1922年にはオスマン家のスルタン制度の廃止を宣言、これによりメフメト6世は亡命を余儀なくされ、オスマン帝国政府は名実共に滅亡した。
1923年には「アンカラ政府」が「トルコ共和国」の建国を宣言。1924年、帝政の廃止後もオスマン家に残されていたカリフ(指導者、最高権威者の称号)の地位を廃止し、オスマン家の成員をトルコ国外に追放することにより、オスマン帝権は完全に消滅した。
■メフメト6世とその時代背景
メフメト6世(Mehmed VI)は、オスマン帝国の第36代(最後)の皇帝(在位:1918年 - 1922年)。第31代皇帝アブデュルメジト1世の子。第33代皇帝ムラト5世、第34代皇帝アブデュルハミト2世、第35代皇帝メフメト5世の弟。
1918年7月、兄メフメト5世の崩御により後を継いで即位。しかし兄と同じく皇帝としての実権は無いに等しく、この頃のオスマン帝国は第一次世界大戦で中央同盟国側に与して戦況不利に陥っていました。
1918年10月30日、連合国側とムドロス休戦協定を結んでオスマン帝国は連合国に降伏し、イスタンブールは連合国に占領されてしまいます。
この協定によりアルメニア人によるアルメニア共和国が建国されることとなり、オスマン帝国は実質的に滅亡したに等しい状態となってしまいます。1922年11月1日、トルコ革命が発生し、ムスタファ・ケマルは大国民議会をアンカラに召集して帝政の廃止を宣言。廃帝となったメフメト6世にはこれに抗する術は無く、17日にイギリスの軍艦でマルタへ亡命しました。
ここに、623年間続いたオスマン帝国は滅亡するところとなり、ムスタファ・ケマルは大統領に就任し、トルコ共和国が成立することになりました。
■クルシュとは
クルシュ は、オスマン帝国で使われていた通貨の1つ。現在は、いくつかの旧オスマン諸国で補助通貨として使われている。
トルコ語本来の発音はクルシュだが、トルコ国外ではクルーシュ、クルス (kurus) などとも呼ばれています。
上位グレード品入荷です!
近年注目度の高いイスラムコインの中でも、
特に状態と希少性の高いコインとなります。
■デザイン
表面:スルタン(君主、支配者)の国璽
裏面:花輪の中央に造幣局名(Qustantiniyah = Constantinople)
■状態
MS62
■コイン詳細
【発行年】1918年?1919年
【鋳造地】コンスタンティノープル
【額面】25クルシュ
【NGC鑑定枚数】5枚
【素材】:金
【重量】:約1.8g
【直径】:約16.5mm
【表面】:スルタン(君主、支配者)の国璽
【裏面】:花輪の中央に造幣局名
【NGC鑑定】MS 62
■ポイント
*希少性
NGC鑑定枚数5枚。
この時代のイスラムコインは鑑定枚数も少なく状態の良いものを探すことはとても困難です。
*状態
NGC社第3位鑑定品
素晴らしい状態を保持しています。
*市場性
今非常に注目度が高いイスラムコイン。
本品のような上位グレード品はなかなかお目にかかれません。
イスラムコインは近年上昇が著しく、
今後ますます注目をされていくコインとなります!
そのため、非常に高い伸びしろ、上昇率が期待されます。
お手ごろな価格のうちにぜひコレクションしていただきたい1枚です。
▼コインのストーリー
■概要
オスマン帝国消滅前に鋳造された金貨!
近年注目度の高いイスラムコインの中でも、特に状態と希少性の高いコインです。
■オスマン帝国とは
オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主を戴く多民族帝国。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を征服し、この都市を自らの首都とした。17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大し、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ。
オスマン帝国は中央同盟国として第一次世界大戦に参戦し、敗戦。敗戦後の講和条約のセーブル条約は列強によるオスマン帝国の解体といえる内容だったため、同条約に反対する勢力がアンカラに共和国政府(オスマン帝国政府に対抗してトルコ国民運動に率いられた)を樹立し、1922年にはオスマン家のスルタン制度の廃止を宣言、これによりメフメト6世は亡命を余儀なくされ、オスマン帝国政府は名実共に滅亡した。
1923年には「アンカラ政府」が「トルコ共和国」の建国を宣言。1924年、帝政の廃止後もオスマン家に残されていたカリフ(指導者、最高権威者の称号)の地位を廃止し、オスマン家の成員をトルコ国外に追放することにより、オスマン帝権は完全に消滅した。
■メフメト6世とその時代背景
メフメト6世(Mehmed VI)は、オスマン帝国の第36代(最後)の皇帝(在位:1918年 - 1922年)。第31代皇帝アブデュルメジト1世の子。第33代皇帝ムラト5世、第34代皇帝アブデュルハミト2世、第35代皇帝メフメト5世の弟。
1918年7月、兄メフメト5世の崩御により後を継いで即位。しかし兄と同じく皇帝としての実権は無いに等しく、この頃のオスマン帝国は第一次世界大戦で中央同盟国側に与して戦況不利に陥っていました。
1918年10月30日、連合国側とムドロス休戦協定を結んでオスマン帝国は連合国に降伏し、イスタンブールは連合国に占領されてしまいます。
この協定によりアルメニア人によるアルメニア共和国が建国されることとなり、オスマン帝国は実質的に滅亡したに等しい状態となってしまいます。1922年11月1日、トルコ革命が発生し、ムスタファ・ケマルは大国民議会をアンカラに召集して帝政の廃止を宣言。廃帝となったメフメト6世にはこれに抗する術は無く、17日にイギリスの軍艦でマルタへ亡命しました。
ここに、623年間続いたオスマン帝国は滅亡するところとなり、ムスタファ・ケマルは大統領に就任し、トルコ共和国が成立することになりました。
■クルシュとは
クルシュ は、オスマン帝国で使われていた通貨の1つ。現在は、いくつかの旧オスマン諸国で補助通貨として使われている。
トルコ語本来の発音はクルシュだが、トルコ国外ではクルーシュ、クルス (kurus) などとも呼ばれています。