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【AU 4/5 4/5】364年?378年 ビザンツ帝国(東ローマ帝国) ウァレンス皇帝 ソリダス金貨

SOLD OUT
世界市場で抜群の人気を誇るビザンツコイン!
1600年以上の歴史と背景を誇りつつ、ハイグレード評価された希少金貨です。

その希少性と美しさから、世界中で高い評価を受けている貴重なソリダス金貨のご紹介になります。

■デザイン

表面:ウァレンス皇帝の肖像
裏面:兄ウァレンティニアヌス 1 世と弟のウァレンスが二重の玉座に向かい合って座るモチーフ、後ろには翼を広げている勝利の女神

■状態

AU Strike: 4/5 Surface: 4/5

■コイン詳細

【発行年】364年?378年
【発行国】ビザンツ帝国(東ローマ帝国)
【額面】 ソリダス
【素材】金
【重量】4.51g
【直径】21mm
【表面】ウァレンス皇帝の肖像
【裏面】兄ウァレンティニアヌス 1 世と弟のウァレンスが二重の玉座に向かい合って座るモチーフ、後ろには翼を広げている勝利の女神
【NGC鑑定】AU Strike: 4/5 Surface: 4/5

■ポイント

*希少性
この時代のローマ帝国金貨は残存枚数は多いものの、状態が優れているものは極めて少なく、ハイグレード鑑定はとても希少な金貨となります。
しかも保有されている方が中々手放さないので、市場に出回りづらいコインとしても有名です。

*状態
・Strike(打刻)、Surface(表面)ともに4と高評価!
・グレード: AU(準未使用品)!
1600年以上も前とは思えない抜群の状態を保持しています。

*市場性
ビザンツコインは、その美しいデザインと歴史的価値から、世界中のコイン収集家に愛される、まさに小さな芸術作品です。繊細で洗練されたデザインは見る者を魅了し、コレクター心をくすぐります。この魅力から、ビザンツコインを専門に収集するコレクターも少なくありません。

近年は、その人気と希少性から、価格も上昇傾向にあり、収集だけでなく、投資対象としても注目されています。

・歴史的価値がある古代コイン
・貴重なハイグレード品
この条件を有したコインは世界中のコレクターから熱烈に愛されます。

抜群の将来性を誇るビザンツ金貨!
手の出しやすい価格帯のうちにぜひコレクションに加えてみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇るビザンツコイン!
世界中のコレクターを魅了し続ける貴重なソリダス金貨です。

■ビザンツ帝国とは

ビザンツ帝国は、東西に分割統治されたローマ帝国の東側の継承国であり、330年にコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を首都として建国され、約1100年にわたって存続しました。ビザンツ帝国は、ローマの伝統を受け継ぎながらも、独自の文化、宗教、政治体制を形成しました。

この帝国の特徴は多岐にわたります。まず、ビザンツ帝国はキリスト教を国教とし、その後の東方正教会の発展に重要な役割を果たしました。また、ビザンツの皇帝は神聖な権威を持ち、政治的な指導者だけでなく、教会の保護者としても尊ばれました。

ビザンツ帝国は、外部からの侵略に常にさらされていましたが、数々の戦争や外交努力によって領土を拡大し、保持することに成功しました。その領土は、現代のトルコ、ギリシャ、エジプト、イタリア、シリア、イスラエルなどに及びました。

また、ビザンツは芸術、文化、教育の中心地でもありました。ビザンツ建築は美しいドームやモザイク装飾で知られ、文学や哲学も盛んに発展しました。ビザンツの学者たちは古代の知識を保存し、後のヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。

しかし、ビザンツ帝国は次第に弱体化し、1453年にオスマン帝国によって征服されました。しかし、その後もビザンツの文化や遺産は、東方正教会や西洋文化の発展に影響を与え続けました。ビザンツ帝国は、その長い歴史と多様な遺産により、世界史上で重要な地位を占める帝国となりました。

*ビザンツ帝国の始まり

ビザンツ帝国の成立時期については、330年のコンスタンティノープル建設、395年のローマ帝国の東西分裂による東ローマ帝国の独立、さらに西ローマ帝国の滅亡により476年に東ローマが唯一の「ローマ帝国」となったなど、いくつかの出来事が挙げられますが、確定的な見解は存在しません。

いずれにしても、ビザンツ帝国はローマ帝国の後継者であり、首都コンスタンティノープルは「第二のローマ」と称されました。しかし、その地域特有の要素から徐々にギリシア的な性格が強調され、西方教会(ローマ教会)との対立が鮮明になり、7世紀頃から「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになりました。

■ウァレンティニアヌス1世とは

ウァレンティニアヌス1世(321年-375年)は、364年から375年までローマ帝国を統治した皇帝であり、ウァレンティニアヌス朝の創始者です。パンノニア出身の軍人としてキャリアを積み、皇帝ヨウィアヌスの死後、ニカイア会議で皇帝に選出されました。

彼は弟のウァレンスを共同皇帝に任命し、帝国を東西に分けて統治しました。ウァレンティニアヌス1世は、北方からのゲルマン民族の侵入や、帝国東部の宗教対立など、多くの問題に直面しました。しかし、彼は優れた軍事指揮官と行政官として手腕を発揮し、これらの課題に対処しました。

具体的には、ライン川沿いの国境防衛を強化し、ブリテン島やガリアの反乱を鎮圧しました。また、正統派キリスト教を支持し、異端派を弾圧しました。

ウァレンティニアヌス1世は375年にブリゲティオで狩猟中に脳卒中を起こして亡くなりました。彼の死後、息子たちはグラティアヌスとヴァレンティニアン2世として皇帝に即位しましたが、帝国は内戦と蛮族の侵入によって急速に衰退していきました。

ウァレンティニアヌス1世は、ローマ帝国の衰退を食い止めることができなかったものの、優れた統治者として評価されています。彼は、軍事的・行政的な手腕だけでなく、法の支配や正義の重要性を強調したことでも知られています。

■ウァレンス皇帝

フラウィウス・ユリウス・ウァレンス(在位364年 - 378年)は、ローマ帝国の皇帝として、兄ウァレンティニアヌス1世と共に帝国を二分して統治しました。東ローマ帝国を任された彼は、在位中にプロコピウスの反乱を鎮圧するなど、内部の安定に努めました。しかし、フン族に追われたゴート族の大量移住を許可したことが裏目に出て、ハドリアノポリスの戦いでローマ軍は大敗、ウァレンス自身も戦死するという悲劇的な結末を迎えます。

熱狂的なアリウス派の信徒であった彼は、後世の歴史家から優柔不断で猜疑心の強い皇帝と評価される一方で、度重なる増税に歯止めをかけるなど、民衆の生活にも配慮した一面も指摘されています。

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