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【AU58】1578年 神聖ローマ帝国 ネーデルラント アムステルダム クリッペ 20シュトゥーバー銀貨

数量
773,000(税込)
ネーデルラントの歴史を象徴する希少銀貨!
”鑑定枚数3枚”という市場では出会うことのない大変貴重な一枚です。

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コインで、戦時中に鋳造された希少コインです。
他では間違いなく入手困難なレアコインのご紹介になります。

■デザイン

表面:冠を戴いたアムステルダムの紋章
裏面:花輪の中心にP /AR · ET/ FO

※本品は、クリッペ(四角)で製造されています。このクリッペは緊急通貨として製造され、円形ではなく直線的にカットされたまま発行された非常に希少なタイプのコインです。

■状態

AU58

■コイン詳細

【発行年】1578年
【鋳造地】アムステルダム
【NGC鑑定枚数】3枚
【額面】20シュトゥーバー
【素材】銀
【重量】13.44g
【直径】28×27mm
【表面】冠を戴いたアムステルダムの紋章
【裏面】花輪の中心にP /AR · ET/ FO
【NGC鑑定】AU58
【専門書】
1: Korchnak 20
2: P&W Am 02
3: CNM 2.02.4
4: Delm-189

■ポイント

*希少性
”NGC鑑定枚数3枚”
1578年にネーデルラントで発行されたこのコインは、戦時下において緊急通貨として鋳造されました。そのため通常の円形ではなく、直線的にカットされた形で発行された点が特徴です。現存する枚数が非常に少なく、特に良好な状態のものは大変貴重です。また、宗教的・歴史的背景を反映しており、当時の価値観や思想を今に伝える重要な資料といえるでしょう。

*状態
”NGC第二位鑑定”
上位グレードはわずかに1枚しか存在しません。
MS61:1枚
AU58:1枚
AU50:1枚

この時代の銀貨はコレクション対象となる良い状態のものが極めて少ない中、大変貴重なAU(準未使用)評価!
打刻の鮮明さ、細部に至るまでの美しさも申し分ありません。

*市場性
ネーデルラント諸州がスペインの支配から脱却するために起こしたオランダ独立戦争とも呼ばれる八十年戦争(1568?1648年)。
その八十年戦争でのアムステルダムは当初オランダ、ゼーラント、南部諸州によるスペインからの独立運動に中立の立場を取っていました。

しかし、1577年後半、反乱軍による市への封鎖が開始されると、アムステルダムは孤立無援の状況に追い込まれました。1578年2月、ついに封鎖が解除されると、アムステルダムは抵抗をやめ、スペインへの反乱に参加することを決意することになります。

封鎖中に経済的な困難に直面したアムステルダムは、本コインである「シュトゥーバー銀貨」を鋳造しました。こうした背景からこの銀貨は、アムステルダムが独立戦争を生き抜いた証として、現在も歴史的な価値を誇っています。

戦時下で鋳造された「シュトゥーバー銀貨」は、良好な状態で現存しているものは極めて希少であり、市場に出回ることはほとんどありません。そのため、コレクターや投資家のみならず、歴史に興味を持つ多くの人々からも歴史的価値の高い逸品として評価されています。

歴史の息吹を感じられる特別な一枚。
市場では手に入らない貴重な逸品です!
在庫があるタイミングで是非お手元のコレクションに加えていただきたい逸品になります。

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン!
市場では見ることのできない鑑定枚数3枚の貴重な銀貨です。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

■ネーデルラントとは

ネーデルラント(現オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)は「低地の国々」を意味し低地地域内に存在した諸邦郡を表す言葉です。

この地域は中世以来、商業と文化が発展し、14世紀後半にはブルゴーニュ公国の一部として統一されました。15世紀後半にはハプスブルク家の支配下に入りましたが、宗教改革後にプロテスタントの勢力が台頭し、カトリックのスペイン・ハプスブルク家と対立しました。

16世紀から17世紀の八十年戦争を経て、北部7州は独立を達成し、共和制のネーデルラント連邦共和国が誕生します。その後、フランス支配やホラント王国を経て、現在のオランダ王国がオラニエ=ナッサウ家を王家とする形で成立しました。

一方、南部地域(南ネーデルラント)はスペイン領ネーデルラントとしてスペイン支配に残りましたが、フランスとの争いが絶えず、スペイン継承戦争後はオーストリア・ハプスブルク家の統治に移行します。フランス革命戦争を経て一時フランスに併合された後、1815年のウィーン条約によりネーデルラント連合王国に編入されました。しかし、1830年にはベルギー独立革命が勃発し、翌年イギリスなどの支持を得てベルギー王国が成立しました。1839年、ネーデルラント王国はベルギーの独立を承認し、1890年にはルクセンブルクも独立して現在の体制となっています。

■シュトゥーバー銀貨とは

「Stuiver(シュトゥーバー)」は、15世紀末から19世紀初頭にかけてオランダやベルギーで流通した古い銀貨です。1シュトゥーバーは、1ギルダー(オランダ通貨単位)の20分の1に相当し、小額通貨として広く使われていました。シュトゥーバーは、当時のオランダの貿易帝国を支え、東インド会社(VOC)をはじめとする世界各地との取引で用いられ、経済的にも歴史的にも非常に重要な役割を果たしました。

シュトゥーバーには、多様なデザインがあり、鋳造地や発行年によって異なる模様や紋章が刻まれています。このため、コレクターの間では収集対象として人気があり、古代貨幣市場でも高い評価を得ています。

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