【MS63 BN】1815年 フランス セントヘレナのナポレオン1世 銅メダル
歴史が刻まれた、貴重な記念メダル!
セントヘレナ島に幽閉されたナポレオン1世を描いた時代を象徴する歴史遺産です。
世界市場で絶大な人気を誇るナポレオンコインから
鑑定枚数4枚という極めて希少価値の高いコインのご紹介になります。
■デザイン
表面:ナポレオン1世の肖像
銘文:NAPOLEON BONAPARTE
裏面:ナポレオン1世の捕虜を描いた悲しげなモチーフ
※ナポレオンが手で頭を抱え座る傍らで、天使がひざまずき羽ペンで巻物に記している。頭上では別の天使がラッパを高らかに鳴り響かせています。
■状態
MS63BN
銅貨の色調の表記には、次の3種類があります
・RD(Red):赤い光沢が95%以上残っているもの
・RB(Red-Brown):赤い光沢が5〜95%程度残っているもの
・BN(Brown):赤い光沢が5%以下でほぼ完全な茶色であるもの
時間とともに酸化することで、銅貨は独自の風合いと色合いへと変化していきます。その一つ一つの色調が個性的で、投資の観点からも高い価値が評価されています。
■コイン詳細
【発行年】1815年
【鋳造地】フランス
【NGC鑑定枚数】4枚
【素材】銅
【直径】約40mm
【表面】ナポレオン1世の肖像
【裏面】ナポレオン1世の捕虜を描いた悲しげなモチーフ
【刻印師】表面:T. Webb、裏面:G. Mills
【NGC鑑定】MS63BN
■ポイント
*希少性
”NGC鑑定枚数4枚”
現存数がわずか4枚と鑑定されていることからも、その歴史的価値の高さがうかがえます。
ナポレオンの肖像が刻まれたこのコインは、近年アンティークコイン収集家の間で人気が急上昇しており、その希少価値はさらに高まっています。
歴史を語る遺産として、この上なく貴重な逸品です。
*状態
”NGC第3位鑑定”
ナポレオン1世の時代は大変な混乱期でした。そのため、この時代の硬貨は、傷ついたものが多く、状態の良いものがあまり残ってはいません。
約200年前の激動の時代のコインでありながらMS(完全未使用品)評価!と抜群の状態を保持しています。
*市場性
フランスコインは、その卓越した芸術性から世界中のコレクターに愛されており、市場でも常に高い評価を受けています。特に、ナポレオンが描かれたコインは、その知名度と歴史的背景からコレクターの間で絶大な人気を誇っています。
1815年、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオン1世は、遠く離れたセントヘレナ島へ幽閉されました。フランス革命の嵐を駆け抜け、皇帝として栄光を極めた英雄が迎えた孤独な最期。その劇的な運命は、今も多くの人々の心を惹きつけています。
ナポレオンを題材にしたコインやメダルは世界中に数多く存在しますが、彼の「幽閉」という歴史的クライマックスに焦点を当てたものはごくわずかです。本品は、まさにその希少な逸品のひとつです。
ナポレオン関連のコレクションは、フランス国内のみならず、ヨーロッパ、アメリカ、さらにはアジアのコレクターの間でも常に高い人気を誇ります。特に、彼の晩年を象徴するコレクションは市場に出回ること自体が珍しく、本品はコレクターはもちろん、歴史やフランス文化に関心のある方にとっても非常に魅力的な一枚です。
日本でも映画「ナポレオン」の上映が行われ、世界の各メディアでもナポレオンに関する多くの報道がなされている中、世界的なナポレオンブームが到来しようとしています。
ジョージ6世が映画化された際、そのコインが急騰したように、今後はナポレオンコインも一層の注目を集めることになるでしょう。
近年、銅貨の価値は上昇傾向にあり、世界中で関心が高まっています。
ナポレオンが刻んだ歴史の瞬間を、手元に迎えるチャンスはごく僅か。悠久の時を超えたこの輝きを、ぜひお手元で感じてください。
▼コインのストーリー
■概要
歴史が刻まれた、貴重な記念メダル!鑑定枚数わずか4枚!
セントヘレナ島に幽閉されたナポレオン1世を描いた時代を象徴する歴史遺産です。
■ナポレオン1世とは
ナポレオン1世(1769年-1821年)は、フランス革命後の混乱を収拾し、その後のヨーロッパの歴史に大きな影響を与えた偉大な指導者。彼は軍事的才能と政治的洞察力を兼ね備え、フランスの混乱を収拾し、国家の安定と栄光を追求しました。
ナポレオンは革命戦争の英雄としての名声を得、1799年にブリュメールのクーデターでフランスの実権を掌握し、初代統領となりました。翌1804年にはフランス皇帝として戴冠し、ナポレオン1世と名乗っています。彼の統治はナポレオン法典の制定などで知られ、近代法の基盤を築きました。
ナポレオンは軍事的な天才としても評価されており、数々の戦役で勝利を収め、フランス帝国の領土を拡大しました。彼のもとでの軍事改革は戦術や戦略の革新をもたらし、彼の指導のもとで多くの戦闘で成功を収めました。
しかし、ナポレオンの野心はその勢いを保つことが難しく、彼の拡張主義政策はヨーロッパの他の国々との対立を引き起こしました。
結果として、ナポレオン戦争が勃発し、彼の帝国は次第に縮小していきました。1814年にはエルバ島に追放され、後に脱出してワーテルローの戦いで敗北し、再度の流刑が待っていました。
ナポレオンはセントヘレナ島で最期を迎えましたが、彼の政治的・法律的遺産は多くの国で受け継がれ、彼の戦術や戦略は軍事教育の基盤となりました。
■ナポレオン1世の晩年
ナポレオン1世の「百日天下」は、1815年3月1日、エルバ島を脱出してフランスに上陸したことから始まります。彼は兵を率いて進軍し、途中で政府軍の部隊と対峙しましたが、「お前たちはこの胸を撃てるか?」と呼びかけると、兵士たちはナポレオンに忠誠を誓い、彼の元に加わりました。その結果、ルイ18世は王位を捨てて亡命し、3月20日、ナポレオンはパリに凱旋し、再び皇帝に即位しました。
しかし、ヨーロッパ諸国は彼の復活を許さず、第七次対仏同盟を結成します。特にイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアが中心となり、ナポレオン討伐の準備を進めました。これに対し、ナポレオンは先制攻撃を仕掛け、6月16日のリニーの戦いでプロイセン軍を破ります。しかし、6月18日のワーテルローの戦いでは、ウェリントン率いるイギリス軍とブリュッヒャー率いるプロイセン軍の挟撃を受け、壊滅的な敗北を喫しました。
この敗北により、ナポレオンは6月22日に再び退位し、フランス政府に身を委ねました。彼は最初、アメリカ亡命を考えましたが、イギリス軍により阻止され、7月15日に降伏。イギリス政府によって南大西洋の絶海の孤島・セントヘレナへ流刑とされました。
セントヘレナ島での生活は過酷なものでした。監視の目が厳しく、自由な行動は制限され、健康状態も悪化していきました。それでも彼は回顧録の執筆に励み、自らの業績を歴史に残そうとしました。
1821年5月5日、ナポレオンはセントヘレナ島で死去しました。死因は胃がんとされていますが、毒殺説も存在します。彼の死後、その影響はなおも続き、フランスでは英雄として語り継がれました。1840年、ルイ・フィリップ王の命により遺骸はフランスに戻され、パリのアンヴァリッドに埋葬されました。





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