【SP63】1852年 オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 ウィーン帰還記念 銀メダル
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の若き姿を刻む希少メダル!
抜群の状態を誇る、鑑定枚数1枚のレアコインです。
世界で最も愛された皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世が描かれたコインから、
他では間違いなく入手困難な希少価値の高いコインのご紹介になります。
■デザイン
表面:フランツ・ヨーゼフ1世の肖像
銘文:FRANZ JOSEPH 1 KAISER V OESTERREICH
裏面:ウィーンへの帰還を象徴するデザイン
銘文:DEM SIEGER ??BER DIE HERZEN SEINER V??LKER
■状態
SP63
■コイン詳細
【発行年】1852年
【発行国】オーストリア
【材質】 銀
【直径】56mm
【表面】フランツ・ヨーゼフ1世の肖像
【裏面】ウィーンへの帰還を象徴するデザイン
【PCGS鑑定】SP63
■ポイント
*希少性
”PCGS鑑定枚数1枚”
PCGSで鑑定されたものは本品が唯一です!
市場で出会える可能性は極めて低く、その 圧倒的な希少性が際立ちます。
また、フランツ・ヨーゼフ1世は ヨーロッパ史上最長の68年間 にわたり統治しましたが、彼の肖像が刻まれたコインやメダルの多くは 中年以降の姿 です。本品のように、若き日の皇帝を描いたデザインは極めて珍しく、大変貴重です。
*状態
”PCGS:SP63”
SP(PF:プルーフ)は鏡面仕上げで、表面が鏡のように光沢があります。
特別に鋳造されたコインであり、通貨として使用されることの無かったコインのため、打刻の鮮明さ、表面の光沢、細部に至るまでの美しさはまさに芸術品といえます。
*市場性
フランツ・ヨーゼフ1世のコインは、アンティークコイン市場で絶大な人気を誇ります。
彼は、ヨーロッパ屈指の名門王朝であるハプスブルク家の一員であり、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝として、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパの歴史に大きな影響を与えました。特に、オーストリア帝国をオーストリア=ハンガリー帝国へと発展させた歴史的指導者であり、その統治は政治・経済・文化の発展に大きく貢献しました。このため、彼の肖像が描かれたコインは、高い歴史的価値を持ち、コレクターや投資家から常に注目されています。
1848年の「三月革命」により、自由主義や民族主義の機運が高まり、各地で反乱が勃発しました。特にハンガリーでは独立を求める戦争が起こりましたが、最終的にフランツ・ヨーゼフ1世が鎮圧しました。そのハンガリーからの帰還を記念して発行されたこの銀貨は、若き皇帝が新たな時代を切り開こうとした象徴でもあり、その歴史的背景の深さと美しい仕上がりから、極めて特別な価値を持つ一枚と言えます。
そして PCGS鑑定で”SP63”と評価された極めて保存状態の良い一品 です。プルーフ仕上げの鏡面の輝きと細部まで鮮明な打刻が、当時の職人技の高さを物語っています。さらに、 PCGS鑑定において1枚のみ!唯一無二の存在であり、その希少性は計り知れません。
・PCGS鑑定枚数1枚!他に類を見ない希少性
・SP評価が付与されたハイグレード品
・安定した市場評価 を誇るフランツ・ヨーゼフ1世コイン
これらの魅力的な条件を備えたコインは、コレクターにとって見逃せない逸品です。
コインコレクターであれば一枚は所有したい世界でも日本でも絶大な人気を誇るフランツ・ヨーゼフ1世コイン!
手の出しやすい価格帯のうちにぜひコレクションに加えていただきたい逸品です。
▼コインのストーリー
■概要
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の若き姿を刻む希少メダル!
抜群の状態を誇る、鑑定枚数1枚のレアコインです。
■時代背景
1850年頃のオーストリアは、ハプスブルク帝国の支配下にあり、政治的にも経済的にも大きな変革の時期でした。
1848年の「三月革命」により、自由主義や民族主義の動きが高まり、各地で反乱が発生しました。特にハンガリーでは独立を求める戦争が勃発しましたが、最終的に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1848年即位)が鎮圧し、専制政治を強化しました。
1867年3月15日、ハンガリー議会はオーストリアとの合併を規定する「アウスグライヒ(和協)法案」を可決しました。これにより、フランツ・ヨーゼフ1世がオーストリア皇帝およびハンガリー王として両国を兼ね、外交、軍事、財政は共通になりましたが、憲法、議会、政府は独自のものを維持する同君連合体制が確立されました。
ハンガリー議会が「和協法」を可決した後の3か月後、つまり1867年6月8日には、フランツ・ヨーゼフ皇帝がハンガリー王に戴冠し、「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が実質的に成立しました。この新体制によって、かつてドイツから疎外されたオーストリアは中央ヨーロッパの大国としての地位を維持し、帝都ウィーンは世紀末美術の花が咲く繁栄を享受しました。同時に、ハンガリーも首都ブダペストの近代化などに成功し、前代未聞の繁栄を迎えることとなりました。
経済面では、産業革命の影響を受け、鉄道建設が進み、ウィーンを中心に工業化が進展しました。しかし、封建的な農業経済も根強く残り、農民の生活は依然として厳しいものでした。
また、多民族国家だったため、ハンガリー人やチェコ人などの民族独立運動が高まり、帝国の統治はますます難しくなっていました。こうした背景の中、オーストリアは絶対王政と近代化の狭間で揺れ動く時代を迎えていました。
■フランツ・ヨーゼフ1世とは
フランツ・ヨーゼフ1世はオーストリア皇帝であり、ハンガリー国王などの称号も兼ねていました。その全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンであり、ハンガリー国王としてはフェレンツ・ヨージェフ1世、オーストリア帝国内のボヘミア国王としてはフランティシェク・ヨゼフ1世として知られています。
彼は驚異的な68年にわたる在位期間と、国民からの絶大な敬愛から、オーストリア帝国(またはオーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも称されました。晩年には「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でした。皇后は美貌で知られるエリーザベト。後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、しばしばオーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝とされています。





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