【MS63】1266年~1285年 イタリア ナポリ カルロ1世 サリュードール金貨
中世ヨーロッパの栄華を今に伝える歴史遺産!
歴史と美が織りなす貴重なハンマーコインです。
芸術的なデザインで人気を集めるイタリアコインから
特に市場性と状態に優れた金貨のご紹介となります。
■デザイン
表面:「新約聖書」に書かれている受胎告知のモチーフ
銘文:✚KAROL'• DEI• GRA• IERL' M• SICILIE• REX
裏面:エルサレムとアンジュー家の紋章
銘文:✠AVE• GRACIA• PLENA• DOMINUS• TECUM•
※ハンマーコイン:彫金師が一枚一枚をハンマーで打って制作しているため一点物の芸術性の高いコインになります。
■状態
MS63
■コイン詳細
【発行年】1266年~1285年
【鋳造地】ナポリ造幣局
【額面】サリュードール
【NGC鑑定枚数】38枚
【素材】金
【重量】4.38g
【直径】22mm
【表面】「新約聖書」に書かれている受胎告知のモチーフ
【裏面】エルサレムとアンジュー家の紋章
【NGC鑑定】MS63
■ポイント
*希少性
”NGC鑑定枚数38枚”
この年代の金貨は状態の良いものが少なく且つ、残存枚数も多くはありません、
当時は流通貨幣として実際に使用されていたため、市場に出回るものは摩耗が進んでいることが多く、未使用の状態(MSグレード)のコインは極めて貴重です。
*状態
”NGC第4位鑑定”
「完全未使用品(MS)」と評価されるにふさわしく、この金貨にはほぼ摩耗が見られず、オリジナルのディテールが驚くほど鮮明に残っています。NGCの鑑定でも上位にランクし、その保存状態の素晴らしさが証明されています。750年もの間、数々の歴史をくぐり抜けながらも、奇跡的に受け継がれた美しさは、芸術と歴史が融合した珠玉の1枚と言えます。
*市場性
このサリュードール金貨は、シチリア王でありのちのナポリ王でもある、フランス国王ルイ8世の末息子・カルロ1世の治世に鋳造された貴重な一枚です。ナポリがヨーロッパの要所として繁栄し、十字軍と深い関わりを持っていた時代、宗教的影響を強く受けたこの金貨の表面には「受胎告知」の場面が刻まれ、当時の敬虔な信仰心を象徴しています。
地中海交易の中心として栄えたナポリでは、金貨が貿易や外交の場で重宝され、美しいデザインと高純度の金含有量から資産価値の高い貨幣として流通しました。近年でも、アンティークコイン市場では中世イタリアの金貨が注目され、本貨も投資対象としての魅力を増しています。
シチリア王国は、ヨーロッパ列強の覇権争いの中で翻弄され続けた激動の歴史を持つ国です。その歴史は貨幣デザインにも表れており、裏面に刻まれた「エルサレム=アンジュー家の紋章」は、当時の王が十字軍の影響を受けていたことの証でもあり、この金貨の歴史的価値をさらに際立たせています。
また、表面にはレオナルド・ダ・ヴィンチらがモチーフにした「受胎告知」が刻まれ、芸術的価値も高い点が特徴です。さらに、一枚一枚がハンマーで打ち出されたコインの為、すべてが唯一無二の作品。そのため、コレクターや歴史愛好家の間で中世ヨーロッパの芸術遺産として圧倒的な人気を誇っています。
市場評価も非常に高く、特にMS63グレードという点から、その保存状態の素晴らしさが際立っています。このクラスのコインは市場にほとんど出回らず、今後の価値上昇も大いに期待される逸品です。
近年、ヨーロッパ金貨の価格が急騰する中、イタリア金貨は比較的手の届きやすい価格帯で購入可能ですが、今後さらに注目されると予想されます。現在の価格帯のうちにコレクションに加えることをお勧めいたします。
投資対象としてもコレクションとしても申し分のない一枚です。
大変美しく、資産価値の高いこちらの金貨を、ぜひコレクションの一つとしてご検討ください。
▼コインのストーリー
■概要
中世ヨーロッパの栄華を今に伝える歴史遺産!
歴史と美が織りなす貴重なハンマーコインです。
■カルロ1世(アンジュー公シャルル1世)とは
カルロ1世(1226年 – 1285年)は、フランスのアンジュー家出身の王族で、ナポリ・シチリア王国を統治した人物です。フランス王ルイ8世とカスティーリャ王ブランシュの末息子として生まれ、フランス王ルイ9世(聖王)の弟であり、「アンジュー公シャルル1世」としても知られています。中世ヨーロッパの勢力争いの中で重要な役割を果たし、特にイタリア南部の支配をめぐる戦いで名を残しました。
カルロ1世は、フランス国内でアンジュー、メーヌ、プロヴァンスを領有していましたが、さらに勢力を広げるためにイタリアに進出しました。1266年、教皇の支援を受けてイタリアに遠征し、ナポリ・シチリア王国を支配していたホーエンシュタウフェン家を破ります。これにより、彼はナポリ王となり、南イタリアをフランス王家の影響下に置きました。
しかし、彼の支配に反発したシチリアの住民は1282年に「シチリアの晩祷事件」と呼ばれる反乱を起こし、彼の勢力をシチリア島から追放しました。この結果、ナポリとシチリアは分裂し、シチリア島はアラゴン王国の支配下に入ります。カルロ1世はナポリ王としての地位は維持しましたが、かつての勢力を取り戻すことはできませんでした。
カルロ1世は、中世ヨーロッパの権力争いの中で積極的に勢力拡大を試みた人物であり、ナポリ王国の基盤を築きました。しかし、シチリアの反乱によって完全な支配を実現できず、その統治には波乱も多かったのです。彼の生涯は、王権の拡大とその限界を示す歴史の一例と言えるでしょう。
■シチリア王国
シチリア王国は、1130年から1816年まで南イタリアとシチリア島を中心に存在した王国です。ノルマン人の貴族ルッジェーロ2世が建国し、多民族・多文化が共存する独特の国家として発展しました。アラブ、ビザンツ、ノルマンの文化が融合し、美しい建築や芸術が生まれたことでも有名です。特に、モンレアーレ大聖堂やパレルモの王宮礼拝堂のモザイク装飾は、その文化的多様性を象徴しています。また、ルッジェーロ2世の統治下では、アラブの行政制度を取り入れた効率的な官僚機構が確立されました。
王国は幾度も支配者が変わり、シュタウフェン朝、アンジュー朝、アラゴン王国を経て、18世紀にはスペイン・ブルボン家の支配下に入りました。政治的には封建制度のもとで発展しつつも、地中海貿易の要所として経済的にも栄えました。シチリア島はヨーロッパ、アフリカ、中東を結ぶ戦略的な拠点であり、商業や文化交流が盛んに行われました。しかし、一方で封建貴族の権力が強く、農民や庶民の生活は厳しいものでした。
しかし、19世紀に入るとナポレオン戦争やイタリア統一運動の影響を受け、1816年にナポリ王国と統合されて「両シチリア王国」となり、シチリア王国としての歴史は幕を閉じました。その後も独立を求める動きは続き、1848年にはシチリア革命が起こりましたが、最終的に鎮圧されました。1861年、イタリア統一運動(リソルジメント)の結果、ガリバルディ率いる千人隊の遠征によりシチリアはイタリア王国に編入され、現在のイタリアの一部となっています。