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【MS61】1655年 神聖ローマ帝国 オーストリア ザルツブルグ大司教領 5ダカット金貨

SOLD OUT

神聖ローマ帝国の歴史を今に伝える黄金の至宝!
鑑定枚数わずか1枚!
市場ではでは決して出会えない、圧倒的な希少性を誇る特別な1枚です。

 

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コインの中から、
他では間違いなく入手困難な希少価値の高い金貨のご紹介になります。

 

■デザイン


表面:ザルツブルグ大聖堂を支える2聖人
銘文:SS RVDBERTVS ET VIRGILIVS PATRONI SALISBVRGENSES

裏面:大司教の紋章
銘文:GVIDOBALDVS DG ARCHI EPS SALISBVRG SED AP LEG 16 55
 

■状態


MS61

 

■コイン詳細


【発行年】1655年
【鋳造地】ザルツブルグ大司教領
【額面】5ダカット
【素材】金
【重量】17.32g
【直径】36mm
【表面】ザルツブルグ大聖堂を支える2聖人
【裏面】大司教の紋章
【NGC鑑定】MS61
 

■ポイント


*希少性
”唯一鑑定品”
ザルツブルク大司教領の金貨は、流通を目的としたものではなく、特別な記念貨幣として鋳造されました。そのため、発行枚数が限られていたため、市場に出回ることは極めて稀であり、現存数も非常に少ない状況です。過去のオークション記録を紐解いても、取引事例はごくわずかであり、比類なき希少性を誇ります。

 

*状態
この時代の硬貨は、傷ついたものが多く、状態の良いものがあまり残ってはいません。
350年以上前に生まれたコインでありながらMS(完全未使用品)評価!
打刻の鮮明さ、細部に至るまでの美しさも申し分なく美術品としての価値も非常に高い逸品です。

 

*市場性
この5ダカット金貨は、グイドバルト・フォン・トゥーン大司教(1616年 - 1668年)の治世、ザルツブルクが最も栄華を極めた時代に鋳造された特別な記念貨幣です。神聖ローマ帝国において、ザルツブルクは単なる地方都市ではありません。宗教的、文化的な中心地として、そして大司教が世俗領主として絶大な権力を兼ね備えた特別な場所でした。

 

グイドバルト大司教は、カトリック改革の推進者であり、バロック様式の傑作として名高いザルツブルク大聖堂の完成に深く関与した人物です。この金貨には、彼の時代の栄華と宗教的権威が凝縮されており、単なる貨幣を超えた歴史的価値を有しています。

 

そしてこの金貨の最大の魅力は、その圧倒的な希少性にあります。通常、流通を目的とした貨幣とは異なり、ザルツブルク司教領の金貨は、儀礼や特別な贈答品として発行されました。そのため、発行枚数が極めて少なく、市場に出回ることは非常に稀です。さらに、本品は鑑定枚数わずか1枚という唯一無二の存在であり、過去のオークション記録を見ても数例しか取引がありません。この事実は、コレクターにとって垂涎の的となる比類なき逸品であることを物語っています。

また、5ダカットという大型金貨は、収集家だけでなく、投資家からも高い関心を集める資産です。近年の金価格の上昇に伴い、大型金貨は地金としての価値も高まり、世界中で高額取引されています。

 

この 5ダカット金貨は、宗教的・歴史的意義、芸術性、希少性、そして投資価値のすべてを兼ね備えた至高の一枚です。神聖ローマ帝国の華麗なバロック文化を象徴するコインとして、コレクターにとっては誇りとなる所有品であり、投資家にとっては長期的な価値を秘めた貴重な資産です。ザルツブルクの歴史とともに時を超えて輝くこの金貨は、まさに「手にすることができる歴史」と言えるでしょう。

 

美しさと芸術性があふれたこのダカット金貨は市場性と希少性を兼ね備えた今後の価格推移も大いに期待できるコインです。
資産として、投資として、コレクションとして、
どれをとっても申し分のない 末長く所持していたい逸品です!

 

▼コインのストーリー
 

■概要

 

神聖ローマ帝国の歴史を今に伝える黄金の至宝!

鑑定枚数わずか1枚!

市場ではでは決して出会えない、圧倒的な希少性を誇る特別な1枚です。


■神聖ローマ帝国とは

 

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけて中欧を中心に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどの地域にまたがり、962年から1806年まで続きました。


神聖ローマ帝国の特徴の一つは、その分散した統治体制でした。帝国の皇帝は、選帝侯(Kurf??rsten)と呼ばれる有力な領主たちによる選挙で選ばれていましたが、これらの選帝侯自身も帝国内の領邦を支配していました。このため、中央集権的な統治は困難で、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在していました。


各領邦や都市国家は皇帝に対して相対的な自治権を持ち、独自の法律や通貨を使用することもありました。このような制度は、帝国内での多様な文化と地域ごとの発展を促しましたが、同時に統一性の欠如という課題も生み出しました。


宗教面においては、当初カトリック教会が支配的でしたが、宗教改革期にはマルティン・ルター(Martin Luther)をはじめとする改革者たちが登場し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより帝国内で宗教的な対立が激化し、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。


帝国の終焉は、フランス革命とナポレオン・ボナパルトの台頭によってもたらされました。1806年、フランス皇帝ナポレオンが神聖ローマ皇帝フランツ2世を退位させたことで、神聖ローマ帝国は正式に解体され、歴史の舞台から姿を消しました。


神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造、多様性、宗教的対立、そして豊かな文化的遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在です。


■ザルツブルグ大司教領とは

 

ザルツブルク大司教領は、神聖ローマ帝国における独立した領邦国家であり、1278年から1803年まで存続しました。この地域は、現在のオーストリア・ザルツブルク州を中心とし、政治・宗教の両面で特異な地位を有していました。


ザルツブルクは、中世から塩(ドイツ語で"Salz")の交易によって繁栄し、その富を背景にカトリック教会の強い影響を受けました。ザルツブルク大司教は、単なる宗教指導者にとどまらず、神聖ローマ帝国内で世俗領主としての支配権を持ち、広範な行政権を行使しました。これは、当時のドイツ諸侯の中でも特異な立場でした。


文化面では、バロック建築の傑作とされるザルツブルク大聖堂をはじめとする華麗な宗教建築が数多く残されています。また、音楽の都としても知られ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生誕地としても有名です。


1803年の帝国代表者会議主要決議により、ザルツブルク大司教領は世俗化され、その後オーストリアやバイエルンの支配下を経て、最終的にオーストリア帝国の一部となりました。長きにわたる歴史の中で、宗教・政治・文化の中心地として重要な役割を果たした地域です。

 

■グイドバルト・フォン・トゥーン大司教とは

 

グイドバルト・フォン・トゥーン(1616-1668)は、神聖ローマ帝国の枢機卿であり、1654年から1668年までザルツブルクの大司教を務めた人物です。彼はイタリア北部のカステルフォンドで生まれ、ウィーンで教育を受けた後、聖職者の道を歩みました。


1654年にザルツブルク大司教に選出され、ローマ教皇インノケンティウス10世によってその地位を正式に承認されました。在任中、彼は宗教改革に対抗するカトリックの強化に努め、バロック様式の発展に貢献しました。特に、ザルツブルク大聖堂の完成に尽力し、この都市の文化的・芸術的な発展に大きな影響を与えました。


また、彼は神聖ローマ帝国内で強い政治的影響力を持ち、宗教と政治の両面で重要な役割を果たしました。1668年にザルツブルクで亡くなり、その後も彼の治世の遺産は都市の建築や芸術を通じて現代に伝わっています


■ダカット(Ducat)とは

 

ダカットは、中世後期から20世紀の後半頃までヨーロッパで使用された硬貨。同時期を通じて、多様な金属で作られた様々なダカットが存在しました。

この硬貨が初めて発行されたのは、シチリア王ルッジェーロ2世統治下のプッリャ公国(公爵領)であったと考えられています。

「ダカット」という単語は中世ラテン語の"ducatus"(「公爵の」や「公爵領の」、又は「公爵の硬貨」の意。)が語源とされています。

 

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