
【MS64】1846年A ドイツ プロイセン王国 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 2フリードリヒ・ドール金貨
栄光のプロイセンを刻む、歴史と美の金貨!
極めて希少にして、最高の状態を誇るコレクター垂涎の逸品です。
芸術的なデザインで人気を集めるドイツコインから、
最高のグレード評価が与えられた貴重な金貨のご紹介になります。
■デザイン
表面:フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の肖像
銘文:FRIEDR. WILH. IV KOENIG V. PREUSSEN(訳:フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 プロイセン国王)
※肖像下の 「A」はミントマークと呼ばれ、王都ベルリンで鋳造されたことを証明しています。
裏面:王冠を戴いたプロイセンの鷲(イーグル)
■状態
MS64
■コイン詳細
【発行年】1846年
【鋳造地】プロイセン王国ベルリン
【素材】金
【重量】約13.36g
【直径】約25mm
【表面】フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の肖像
【裏面】王冠を戴いたプロイセンの鷲(イーグル)
【NGC鑑定】MS64
■ポイント
*希少性
“NGC鑑定枚数4枚”
2フリードリヒ・ドール金貨は、元々の発行枚数が少なく、現代まで現存する個体はごくわずかです。特に、良好な保存状態で残っているものは稀であり、非常に高い希少性を誇ります。
加えて、2大鑑定機関による鑑定枚数は合わせてもわずか5枚と非常に限られており、この事実が本貨の希少価値を一層際立たせています。市場に登場する機会は極めて少なく、現在では極めて入手困難なアンティーク金貨の一つと言えるでしょう。
*状態
”NGC最高鑑定”
【NGC鑑定枚数】
MS64:1枚(本品)
MS62:1枚
MS61:1枚
MS58:1枚
【PCGS鑑定枚数】
MS61:1枚
約150年前の激動の時代に発行された金貨は、多くが流通による摩耗や損傷を受けており、良好な状態で現存するものは非常に稀です。そうした中、この金貨はMS(完全未使用)評価の中でも最高グレードを獲得しており、まさに驚異的な保存状態を誇ります。
表面の光沢や細部の彫刻は鮮明に保たれており、発行当時の荘厳な美しさを今に伝えています。この卓越した状態は、長年にわたり丁寧に保管されてきた証であり、コレクションとしての価値をいっそう高める要素となっています。
*市場性
1846年発行のプロイセン金貨「2フリードリヒ・ドール」は、激動の時代を映し出す歴史的遺産です。肖像に刻まれたのは「王座のロマン主義者」とも称されるフリードリヒ・ヴィルヘルム4世。芸術と保守思想を併せ持つこの国王は、即位当初は自由主義への期待を背負いながらも、最終的には王権の強化に舵を切りました。その治世は、1848年の三月革命や憲法制定要求など、近代国家の胎動期における政治的葛藤を体現しています。
この金貨が鋳造された1846年のプロイセンは、ドイツ関税同盟の主導によって経済発展を遂げ、商工業の拡大や交通網の整備が進んだ成長期でした。新興の産業資本家が台頭する一方、都市労働者や農民階層には厳しい現実があり、社会構造は大きく揺れ動いていました。そんななか発行された「2フリードリヒ・ドール」は、額面10ターラーに相当する高額金貨であり、国際貿易や投資取引にも使用される貿易金貨(トレードコイン)としての性格を有していました。
その品位と重量は厳格に管理され、金本位制度下の信頼の象徴として、周辺諸国でも高い信用力を誇りました。実物は約13gの重厚な存在感を持ち、紙幣が未発達だった時代において富裕層や国家間の決済手段として重宝されました。表面には威厳ある国王の横顔が精緻に刻まれ、裏面には王冠を戴くプロイセン国章が堂々と描かれています。この造形美と重厚感こそ、当時の経済力と国家の威信を象徴しています。
現在では「2フリードリヒ・ドール」は、ドイツ金貨コレクションの華とも評され、世界中の収集家や投資家から注目を集めています。特に高鑑定グレードの未使用品は現存数が極めて限られ、国際市場でも非常に高い希少価値を誇ります。英国のダブルソブリンやフランスの大型フラン金貨に匹敵する存在感を持ち、19世紀ヨーロッパの金貨シリーズの中でもひときわ際立つ金貨として評価されています。
歴史的価値、希少性、高鑑定を併せ持つコインは、コレクターや投資家の間では常に高い人気を誇り注目されています。
美しさと芸術性があふれたこの金貨は市場性と希少性を兼ね備えた今後の価格推移も大いに期待できる逸品です。
歴史を手に取る感動と、時を超える価値を、ぜひご自身のコレクションにお迎えください。
▼コインのストーリー
■概要
栄光のプロイセンを刻む、歴史と美の金貨!
極めて希少にして、最高の状態を誇るコレクター垂涎の逸品です。
■プロイセン王国とは
プロイセン王国は、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパの政治・軍事に大きな影響を与えた国家です。1701年、神聖ローマ帝国内のブランデンブルク選帝侯であったフリードリヒ3世が、プロイセン王フリードリヒ1世として即位し、正式に王国が成立しました。当初はポーランド王国の宗主権下にあったプロイセン公国を中心に成り立っていましたが、次第に独立性を強め、領土を拡大していきました。
特に注目されるのは、フリードリヒ2世、通称「フリードリヒ大王」の治世(1740年〜1786年)です。彼は優れた軍事的才能と啓蒙専制君主としての資質を兼ね備えており、オーストリア継承戦争や七年戦争において巧みな戦略を展開しました。これにより、プロイセンはヨーロッパの小国から一躍、列強の仲間入りを果たします。同時に、法律や行政制度の整備、宗教的寛容政策、農業改革なども推進し、近代国家への基盤を築きました。
19世紀後半には、宰相オットー・フォン・ビスマルクの指導のもと、プロイセンはドイツ統一運動の中心的存在となります。普仏戦争(1870〜1871年)に勝利したことで、1871年にはドイツ帝国が樹立され、プロイセン王は初代ドイツ皇帝(カイザー)として即位します。このとき、プロイセンは事実上、ドイツ帝国の中核を成す国となり、その政治体制や軍事、教育、官僚制度は統一ドイツの骨格として大きな役割を果たしました。
しかし、20世紀に入り第一次世界大戦の敗北を経てドイツ帝国が崩壊すると、プロイセンの影響力も徐々に衰えていきます。そして第二次世界大戦後、連合国の決定によりプロイセンという国家単位は正式に廃止され、歴史の表舞台から姿を消しました。
それでも、プロイセンが築き上げた制度や価値観、国家運営の手法は、現代ドイツの政治や社会の中に今なお多くの影響を残しています。プロイセン王国の歴史は、単なる一国の興亡ではなく、近代ヨーロッパの形成過程を語るうえで欠かせない重要な章となっています。
■フリードリヒ・ヴィルヘルム4世とは
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、プロイセン王国の第7代国王として1840年から1861年まで在位した人物です。彼はフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の長男として生まれ、若い頃から芸術や哲学に強い関心を持ち、ロマン主義的な思想に深く影響を受けて育ちました。そのため、即位後の統治においても、軍事的実利よりも理念や象徴を重視する傾向が見られます。
彼の治世は、ちょうどヨーロッパ全体が社会変動の波に揺れる時代と重なります。特に1848年の三月革命では、ドイツ諸邦の自由主義者たちが憲法制定と国家統一を求めて各地で蜂起しました。フリードリヒ・ヴィルヘルム4世はこの革命に対して当初は譲歩的な態度を見せ、憲法制定議会の設置や言論の自由の一時的な承認などを行いましたが、最終的には反動的な姿勢に転じ、軍を用いて秩序回復を図りました。
特に有名なのは、フランクフルト国民議会からドイツ皇帝の王冠を提案された際の対応です。彼は「民衆の手からの王冠は、神の意志に背く」としてその申し出を拒否し、統一ドイツの皇帝となる機会を自ら放棄しました。この決断は、後のドイツ統一においてプロイセンが主導権を握る契機を一時的に逸したことを意味し、多くの歴史家の議論の対象となっています。
また、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は文化・芸術の庇護者としても知られ、ベルリンの博物館建設や建築事業、教育制度の整備に力を入れました。特にベルリンの博物館島にある新博物館や、シャルロッテンブルク宮殿の改修などは、彼の美的感覚と理想主義を反映した成果といえます。
晩年には脳卒中により政治活動が困難となり、1858年以降は弟のヴィルヘルム(後のヴィルヘルム1世)が摂政を務めました。フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は1861年に死去し、波乱の時代に理想と現実の間で揺れ動いた一君主としてその名を残しました。





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