アンティークコインの通販ならRareCoinShop

アンティークコインの通販ならRareCoinShop

×

【AU55】1707年 イギリス アン女王 1クラウン銀貨

SOLD OUT

世界市場で抜群の人気を誇るイギリスコイン!
鑑定枚数わずか42枚!
グレートブリテン王国が成立した際に発行された歴史的価値の高い貴重なコインです。

 

大ヒット映画『女王陛下のお気に入り』で有名な非常に人気の高いアン女王のコインから、
特に希少性と市場性に優れた銀貨のご紹介になります。

 

■デザイン


表面:アン女王の肖像
銘文:ANNA DEI GRATIA(訳:アン、神の恩寵による)

 

裏面:4つの王冠(イングランド、スコットランド、アイルランド3国の連合国章を示す盾)、中央にガーター星章
銘文:MAG · BRI · FR · ET · HIB · REG · 1707(訳:グレートブリテン、フランスおよびアイルランドのアン女王)

 

■状態


AU55

 

■コイン詳細


【発行年】1707年
【鋳造地】イギリス
【NGC鑑定枚数】35枚
【額面】1クラウン(5シリング、1/4ポンド)
【素材】銀
【重量】約30.1g
【直径】約38.6mm
【表面】アン女王の肖像
【裏面】4つの王冠(イングランド、スコットランド、アイルランド3国の連合国章を示す盾)、中央にガーター星章
【NGC鑑定】AU55
 

■ポイント


*希少性
”NGC鑑定枚数35枚”
”PCGS鑑定枚数7枚”
本コインは、グレートブリテン王国近代初期に発行された大型銀貨に属します。アン女王統治期の大型銀貨は、発行枚数が限られ、現存する個体も少ないため、非常に高い希少性を誇ります。さらに、300年以上の時を経る中で、多くのコインが摩耗や鋳つぶしにより失われており、良好な状態で現存するものはごくわずかです。本品はAU55の高グレードを獲得しており、NGC鑑定枚数はわずか35枚、PCGS鑑定枚数は7枚のみと、流通量自体が極めて限られています。そのため、市場に出回る同種のコインの中でも特別な価値を持つ稀少品として、コレクターや投資家から高く評価されています。

 

*状態
”NGC第6位鑑定”
”PCGS最高鑑定”
2大鑑定機関において上位グレードはわずか8枚しか存在しません。
この時代のコインは良い状態のものが少ない中、大変貴重なAU(準未使用品)評価!
銀製のコインやメダルは経年劣化による摩耗が避けられないものですが、本品はその影響を最小限に抑え、当時の姿をほぼそのまま残しています。打刻の鮮明さ、細部の美しさ、そして時を超えて放たれる輝きは、まさに歴史的価値を持つ芸術品といえます。

 

*市場性
1707年、イングランドとスコットランドの合同によりグレートブリテン王国が誕生しました。その歴史的転換期に発行されたのが、アン女王のクラウン銀貨です。本コインは単なる通貨ではなく、新たな国家の成立と通貨統一を象徴する存在として、今なお世界中のコレクターを魅了し続けています。

 

表面には、王立造幣局の彫刻家ジョン・クロッカーが手掛けた威厳あふれる女王の肖像が精緻に刻まれ、裏面には王冠を戴く盾を中心とした伝統的意匠が配されています。直径約39mmの堂々たるサイズは、芸術作品としての風格と存在感を際立たせています。さらに「MAG BRI... REG」と刻まれた銘文は、アン女王が「グレートブリテンおよびアイルランドの女王」として新たな称号を得たことを示し、国家統合の象徴となりました。

 

アン女王統治期の大型銀貨は発行期間が短く、流通量も限られていました。本品はその中でもAU55という高グレードを誇り、鑑定枚数はNGCでわずか35枚、PCGSでは7枚にとどまる希少な一枚です。短い治世ゆえに発行数が限られたアン女王のコインは、エリザベス女王やヴィクトリア女王と並び常に高い人気を保ち、とりわけ近年は映画『女王陛下のお気に入り』の影響もあって注目度と市場価値が上昇しています。

 

歴史と物語を凝縮した芸術品として、こうした魅力的な女王の肖像が描かれたコインは、コレクターの心を掴んで離しません。特にアン女王のコインは、その希少性と歴史的価値から、オークション市場でも常に高値で取引され、コレクター間で熱い競争が繰り広げられています。

 

コインコレクターなら誰もが憧れるアン女王コイン!
近年の著しい値上がりをみてもその人気の高さは一目瞭然です。

 

在庫があるタイミングで是非お手元のコレクションに加えていただきたい逸品になります。

 

▼コインのストーリー
 

■概要

 

世界市場で抜群の人気を誇るイギリスコイン!

鑑定枚数わずか42枚!

グレートブリテン王国が成立した際に発行された歴史的価値の高いコインです。


■イギリスの時代背景

 

1700年頃のイギリスは、アン女王の治世下、大国の地位を確立しつつあった激動の時代でした。名誉革命(1688年)を経て確立された立憲君主制は、政治の安定をもたらし、議会の権限が強化される一方で、依然として国王の影響力も根強く残っていました。二大政党であるトーリー党とホイッグ党が勢力を競い合い、政局は常に流動的でした。


経済においては、商業革命が進行し、海外貿易が活況を呈していました。東インド会社をはじめとする特許会社がアジアやアメリカとの交易を拡大し、富を蓄積。ロンドンは国際的な金融の中心地としての地位を確立しつつありました。一方で、農村部では囲い込みが進み、農民の没落と都市への人口集中が進行。貧富の格差が社会問題となりつつありました。


社会文化においては、啓蒙思想の影響が広がり始め、理性と科学が重視されるようになりました。ジョン・ロックの思想は政治哲学に大きな影響を与え、文学や芸術の分野でも新たな潮流が生まれつつありました。コーヒーハウスは知識人や商人たちの交流の場となり、ジャーナリズムも発展を見せ始めました。


国際関係においては、スペイン継承戦争(1701年-1714年)が勃発し、イギリスはフランスの勢力拡大を阻止するためにヨーロッパ大陸の戦いに深く関与しました。マールバラ公ジョン・チャーチル率いるイギリス軍の活躍は目覚ましく、ブレナムの戦いなど数々の勝利を収め、イギリスの軍事的な威信を高めました。この戦争を通じて、イギリスはヨーロッパにおける主要なプレーヤーとしての地位を不動のものとし、後の大英帝国の礎が築かれたと言えるでしょう。


このように1700年頃のイギリスは、政治、経済、社会、文化、国際関係のあらゆる面で大きな変革期を迎えており、その後のイギリスの発展を方向づける重要な時代であったと言えます。


■グレートブリテン王国とは

 

グレートブリテン王国は、1707年から1800年まで、グレートブリテン島全体と属領を統治していた国家です。この国は、イングランド王国とスコットランド王国が合同することで成立しました。1707年、両国の議会が合同法(Union Acts)を可決し、単一の王国として統合されました。この統合は、長年にわたる両国の対立に終止符を打ち、経済的・政治的な安定をもたらすことを目的としていました。


統一後、首都はロンドンに置かれ、一つの議会がウェストミンスターに設置されました。しかし、スコットランドは独自の法制度や教育制度を維持することが認められ、文化的な独自性が尊重されました。この時代、王国は産業革命の黎明期を迎え、経済的な繁栄を享受しました。また、七年戦争やアメリカ独立戦争といった国際的な紛争にも深く関与しました。


1801年、グレートブリテン王国はアイルランド王国と再び合同法を締結し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国へと発展的に解消されました。この変遷は、現代のイギリスの原型を築く上で重要な一歩となりました。


■アン女王とは

 

アン(1665年2月6日 - 1714年8月1日)は、イングランド王国とスコットランド王国の最後の君主であり、両国を統合して誕生したグレートブリテン王国の最初の君主として歴史に名を残しています。ステュアート朝最後の君主としても知られ、ブランデーを愛飲したことから「ブランデー・ナン」の愛称で呼ばれることもありました。


1702年、アン女王が王位を継承すると、まず目の前に立ちはだかったのは、イングランドの王位継承問題と、長年の懸案であったスコットランドとの統合という二つの大きな課題でした。折しもヨーロッパではスペイン継承戦争が勃発。女王はイギリスの国益を守るため、オーストリアやオランダといった国々と同盟を結び、積極的に大陸の戦いに身を投じます。


国内に目を向けると、アン女王はイングランド銀行の設立を後押しし、経済の発展に貢献しました。また、芸術や文化を奨励することで、王室の威厳を高めることにも心を砕きました。


そして1707年、歴史的な出来事が起こります。イングランドとスコットランドが合同し、グレートブリテン王国が誕生。アン女王はその初代国王となったのです。しかし、晩年を迎えると女王は健康を害し、次第に政治への関与は薄れていきました。1714年、後継者を指名しないままこの世を去り、ステュアート朝はここに終焉を迎えます。その後、王位はハノーヴァー朝のジョージ1世へと引き継がれました。


アン女王の治世は、イギリスが中世から近代国家へと大きく舵を切る、まさに転換期でした。彼女の統治下でイングランドとスコットランドが結びつき、イギリスはヨーロッパにおける重要な一角を占める強国へと成長を遂げたのです。

最近チェックした商品