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【AU 4/5 3/5】602年?610年 ビザンツ帝国 フォカス皇帝 ソリダス金貨

SOLD OUT
世界中で根強い人気を誇るビザンツコイン!
通称ビザンチン!

1400年以上前の歴史と背景を誇りつつ、
抜群な状態を保持するハイグレードなコインのご紹介です。

特に状態と市場性の高い金貨のご紹介になります。

■デザイン

表面:フォカス皇帝

裏面:右手に杖、左手に十字架を持つ天使、下に「CONOB」
帝国内には造幣所がいくつか存在しますが、金貨が発行されるのは都コンスタンティノープルのみであり、裏面には「CONOB(コンスタンティノープル製の純金)」と書かれています。

■状態

AU Strike:4/5 Surface:3/5

■コイン詳細

【発行年】602年?610年
【発行国】ビザンツ帝国(東ローマ帝国)
【額面】 ソリダス
【素材】金
【重量】4.44g
【直径】21mm
【表面】フォカス皇帝
【裏面】右手に杖、左手に十字架を持つ天使、下に「CONOB」
【NGC鑑定】AU 4/5-3/5

■ポイント

*希少性
この時代のビザンチン金貨は残存枚数は多いものの、状態が優れているものは極めて少なく、ハイグレード鑑定はとても希少な金貨となります。
しかも保有されている方が中々手放さないので、市場に出回りづらいコインとしても有名です。

*状態
・Strike(打刻)は4と高評価!
・Surface(表面)は、3とこちらも申し分ありません!
・グレード: AU(準未使用品)!

その他古代コインにありがちなマイナスとなるポイントは一切なし!
1400年も前とは思えないすばらしい状態を保持しています。

*市場性
ビザンツ帝国金貨、通称ビザンチン金貨はかわいらしいデザインから世界中のコレクターから愛されており、ビザンチン専門コレクターも存在するほど人気があります。
また底堅い人気から、近年価格もさらに上昇傾向にあります。

・歴史的価値がある古代コイン
・ハイグレード鑑定
この条件を有したコインは世界中のコレクターから熱烈に愛されます。

抜群の将来性を誇るビザンチン金貨!
手の出しやすい価格帯のうちにぜひコレクションに加えてみてはいかがでしょうか。

▼コインのストーリー

■概要

絶大な人気を誇るビザンチン金貨!
抜群な状態を保持するハイグレードコインです。

■ビザンツ帝国とは

ビザンツ帝国は、東西に分割統治されたローマ帝国の東側の継承国であり、330年にコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を首都として建国され、約1100年にわたって存続しました。ビザンツ帝国は、ローマの伝統を受け継ぎながらも、独自の文化、宗教、政治体制を形成しました。

この帝国の特徴は多岐にわたります。まず、ビザンツ帝国はキリスト教を国教とし、その後の東方正教会の発展に重要な役割を果たしました。また、ビザンツの皇帝は神聖な権威を持ち、政治的な指導者だけでなく、教会の保護者としても尊ばれました。

ビザンツ帝国は、外部からの侵略に常にさらされていましたが、数々の戦争や外交努力によって領土を拡大し、保持することに成功しました。その領土は、現代のトルコ、ギリシャ、エジプト、イタリア、シリア、イスラエルなどに及びました。

また、ビザンツは芸術、文化、教育の中心地でもありました。ビザンツ建築は美しいドームやモザイク装飾で知られ、文学や哲学も盛んに発展しました。ビザンツの学者たちは古代の知識を保存し、後のヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。

しかし、ビザンツ帝国は次第に弱体化し、1453年にオスマン帝国によって征服されました。しかし、その後もビザンツの文化や遺産は、東方正教会や西洋文化の発展に影響を与え続けました。ビザンツ帝国は、その長い歴史と多様な遺産により、世界史上で重要な地位を占める帝国となりました。

*ビザンツ帝国の始まり

ビザンツ帝国の成立時期については、330年のコンスタンティノープル建設、395年のローマ帝国の東西分裂による東ローマ帝国の独立、さらに西ローマ帝国の滅亡により476年に東ローマが唯一の「ローマ帝国」となったなど、いくつかの出来事が挙げられますが、確定的な見解は存在しません。

いずれにしても、ビザンツ帝国はローマ帝国の後継者であり、首都コンスタンティノープルは「第二のローマ」と称されました。しかし、その地域特有の要素から徐々にギリシア的な性格が強調され、西方教会(ローマ教会)との対立が鮮明になり、7世紀頃から「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになりました。

■フォカス皇帝とは

フォカスは602年から610年までビザンチン皇帝を務めましたが、その統治は混乱と脆弱さに満ちていました。彼は元は中堅将校であり、602年の軍の反乱により指導者として台頭し、同年11月23日にはコンスタンティノープルを占拠して皇帝に即位しました。

彼はコンスタンティノープルのエリート階級に対して深い不信感を抱き、自らの親族を重要な地位に据え、政権基盤を築こうと試みました。しかし、内政や外交においては多くの課題に対処できず、国内の反対勢力に対しては冷酷な手段を用い、その結果、自らの家族を含む多くの人々との関係が悪化しました。

ビザンチン帝国はアヴァール人やスラブ人によるバルカン半島への襲撃、サーサン朝による東部諸州への大規模な侵略など、複数の脅威に晒されました。アフリカ総督ヘラクレイオス大王が反逆し、幅広い支持を得たことでフォカスの統治は崩れ始めました。彼は反乱を鎮圧しようとしましたが、その結果、外国の侵略者が帝国の中心地に侵入する結果となりました。

610年10月5日、ヘラクレイオス大王はコンスタンティノープルを制圧し、同日にフォカスを処刑して自らを皇帝に宣言しました。フォカスの統治は脆弱で、内外の問題に適切に対処できなかったことが、最終的に彼の失脚とヘラクレイオスの台頭を招きました。

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