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【MS62】1686年 神聖ローマ帝国 ドイツ ザクセン選帝侯領 ヨハン・アドルフ1世 1ターラー銀貨

数量
1,803,000(税込)
超希少!
貴重な神聖ローマ帝国の1ターラー銀貨!
”鑑定枚数3枚”という市場では出会うことのない大変貴重な一枚です。

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コインから
特に状態と希少性に優れた銀貨のご紹介です。

■デザイン

表面:杖を手に持ち、肩に子羊を乗せたヨハン・ゲオルク2世
裏面:8行の碑文

■状態

MS62

■コイン詳細

【発行年】1686年
【鋳造地】ヴァイセンフェルス
【NGC鑑定枚数】3枚
【額面】1ターラー
【素材】銀
【重量】29.06g(スラブ込み)
【直径】42mm
【表面】剣を肩にかけたヨハン・ゲオルク2世選帝侯の肖像
【裏面】紋章の上にさらに8個の紋章
【NGC鑑定】MS62
【専門書】
1: KM-20 (THIS COIN !!!) (World Coins 1601ー1700、Page 879
2: Davenport 7763

■ポイント

*希少性
”NGC鑑定枚数3枚”
近世のターラー銀貨は、保存状態の良いものが非常に少なく、現存する数が限られているため、非常に希少なコインです。その中でも本コインは、鑑定済みのものがわずか3枚しか確認されていない、特に際立った稀少性を誇っています。さらに保存状態も極めて優れていますので、銀貨コレクターにとっては、まさに夢の逸品と言えるでしょう。

*状態
”NGC第2位鑑定”
上位グレードは1枚しかありません。
MS63:1枚
MS62:本コイン
AU55:1枚

この時代のターラー銀貨はコレクション対象となる良い状態のものが極めて少ない中、大変貴重なMS(完全未使用)評価!
打刻の鮮明さ、細部に至るまでの美しさも申し分ありません。

*市場性
ターラー銀貨は、16世紀から17世紀にかけて、ドイツ、ハンガリー、オーストリアを中心に多彩なデザインで発行された歴史的な銀貨です。美しいデザインに加え、複雑な多民族国家であった神聖ローマ帝国の象徴ともなっており、コレクターの間で高い人気を誇ります。

本品が鋳造されたザクセン選帝侯領は、神聖ローマ帝国において重要な地位を占めていたドイツ東部の国で、30年戦争という大規模な宗教戦争を経ながらも、文化・芸術の中心地として輝いていました。
このような激動の時代に発行されたザクセンの貨幣には、ザクセン選帝侯が神聖ローマ帝国において果たした重要な役割や、文化・芸術が深く刻み込まれています。そのため、歴史的価値も非常に高く評価されています。

そして本品は、敬虔なキリスト教信仰を持つ公妃を讃えるために特別に鋳造された一枚です。夫であるヨハン・アドルフ1世は、若くして亡くなった公妃への揺るぎない「愛」を表現するため、この銀貨に特別な思いを込めました。この銀貨には卓越した彫刻技術と鋳造技術により、その深い愛情が見事に映し出されており、コレクターを魅了する歴史背景を映し出しています。

希少価値が高く、信仰心が厚い聖人として扱われた貴族コインは、コレクターや投資家の間で今もなお非常に高い人気を誇り、投資対象として注目を集めています。

その人気の高さから市場からすぐに消えてしまう貴重なターラー銀貨!
在庫があるタイミングで是非お手元のコレクションに加えていただきたい逸品になります。

▼コインのストーリー

■概要

世界市場で抜群の人気を誇る神聖ローマ帝国コイン!
コレクターを魅了してやまない鑑定枚数1枚の貴重なターラー銀貨です。

■神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国(Holy Roman Empire)は、中世から近世にかけての中欧地域に存在した政治的な連合体で、現代のドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、チェコ、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、スイスなどにまたがり、962年から1806年までの間続きました。

神聖ローマ帝国の特徴的な要素の一つは、その分散的な性格でした。帝国は複数の選帝侯(Kurfürsten)という選挙によって選ばれる皇帝によって統治され、その選帝侯自体が神聖ローマ帝国内の領主でした。このため、中央集権的な支配が難しく、帝国内には多くの独立した領邦や都市国家が存在しました。

帝国内の領主や都市国家は、皇帝の権威に対して相対的な自治権を保持し、自身の法律や通貨を持つことがありました。これは帝国内の多様性と地域ごとの文化の発展を促しましたが、一方で統一性の欠如も招きました。

宗教的側面では帝国内ではカトリック教会が支配的でしたが、宗教改革の時代にはマルティン・ルター(Martin Luther)などの宗教改革者が台頭し、プロテスタント信仰が広まりました。これにより、帝国内で宗教的な対立が生じ、三十年戦争(Thirty Years' War)などの宗教戦争が勃発しました。

帝国の終焉は、ナポレオン・ボナパルトによるフランス革命戦争の影響を受けて訪れました。1806年に、フランス皇帝ナポレオンは神聖ローマ皇帝フランツ2世を追放し、帝国は正式に解体されました。これにより、神聖ローマ帝国は歴史の舞台から姿を消しました。

神聖ローマ帝国は、その複雑な政治構造と多様性、宗教的な対立、そして文化的な遺産により、ヨーロッパ史上の重要な時代を象徴する存在とされています。

■ザクセン選帝侯領とは

ザクセン選帝侯領は、神聖ローマ帝国において重要な地位を占めた領土です。1356年の金印勅書により選帝侯領に指定され、神聖ローマ皇帝の選出に大きな影響力を持っていました。

当初はヴィッテンベルクを中心とした小さな領土でしたが、徐々に拡大し、ドレスデンやライプツィヒといった都市を含むようになりました。選帝侯はヴェッティン家によって統治され、宗教改革においてはルター派を支持し、プロテスタント諸侯の保護者としての役割を果たしました。

しかし、三十年戦争や七年戦争といった大規模な戦争により大きな打撃を受けました。経済は多様化し、繁栄を築きましたが、中流階級の発展は遅れ、文化・芸術面では18世紀に開花を見せました。

1806年の神聖ローマ帝国崩壊後、ザクセン王国として新たな歴史を歩み始めます。最大領土時には面積は約34,994平方キロメートル、人口は約201万人を数え、ドイツにおいて重要な地域となりました。

ザクセン選帝侯領は、神聖ローマ帝国における重要な選帝侯領であり、宗教改革、戦争、そして文化・経済の発展といった様々な歴史的出来事を経て、現在のドイツの礎を築いたと言えるでしょう。

■アドルフ・ヨハン1世とは

アドルフ・ヨハン1世 (アドルフ・ヨハン1世・フォン・プファルツ=クレーブルク, Adolf Johann I, Count Palatine of Kleeburg, 1629年–1689年) は、プファルツ=クレーブルク家の公子であり、神聖ローマ帝国の一部であったスウェーデンと密接な関係を持つ領主の一人です。彼はクレーブルク公領を統治し、特にその家系はスウェーデンの王位継承に関与することで有名です。

アドルフ・ヨハン1世は、プファルツ=クレーブルク公ヨハン・カジミールとスウェーデン王カール9世の娘であるカタリーナの息子として生まれました。彼の家系は、プファルツ選帝侯領とスウェーデン王家をつなぐ重要な架け橋となっていました。

彼はその統治時代に目立った政治的役割を果たさなかったものの、彼の兄であるカール10世グスタフがスウェーデン王位に就いたことにより、家族としての影響力が強まりました。アドルフ・ヨハン自身は、主に家族の領地の管理と防衛に尽力しました。

アドルフ・ヨハン1世には多くの子女がいましたが、彼の子孫は後にドイツやスウェーデンの貴族階級に深く関わり続けました。彼の一族はヨーロッパの歴史において特にスウェーデンとの関わりが強く、王位継承の争いにおいても影響を与えました。

■ターラー (通貨)とは

ターラー(ターレル、Thaler、Talerとも)は、16世紀以来数百年にわたりヨーロッパ中で使われていた大型銀貨です。その名残は、現在もアメリカ合衆国ドルをはじめとするドル(dollar)や、2007年までスロベニアで使われていたトラール(tolar)などの通貨名にも残されています。

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